漢方コラム

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れいこん通信

れいこん通信No2 魂はどこから来た

19年08月22日

2018年2月のれいこん通信は「魂はどこから来た」についてです。

前回からスタートした「れいこん通信」、霊魂をいろいろな角度から取り上げていきます。くれぐれもどこかの新興宗教や霊感商法の類ではないことを断っておきます。しかしこの類はみんなそういいますけど。ただ漢方4000年といわれるように、大昔は今よりももっと目に見えないものの存在を感じ、そして信じていたことは間違いないでしょう。

今から50年ほど前、私が小学生の頃に流行った歌に「帰ってきたヨッパライ」という歌がありました。
「オラは死んじまっただ、オラは死んじまっただ・・・天国に行っただ、天国よいとこ一度はおいいで、酒はうまいし・・・」と、交通事故で亡くなった男性が天国に行って、酒浸りの毎日を過ごしていると、神様に怒られて地上界に帰ってくるというとても愉快な歌でした。
人は死ぬと肉体から魂が離れて、天国やあの世、極楽浄土など行くといわれています。
どの宗教でも魂の存在を認めているわけです。
極楽浄土にしても天国にしても、いつも楽しくて何不自由ない生活が送れることは、冒頭の歌のように間違いないことなのでしょう。
ではなぜそんな毎日が極楽な世界から、わざわざこんな苦しい人間世界に生まれてくるのでしょうか。

漢方では魂と肉体、これらを結び付ける各種のエネルギー体をあわせて「霊魂=れいこん=ひと」といいます。
肉体がなくなった状態、つまり魂とエネルギー体を合わせたものを「霊=れい」といいます。
魂だけでは存在できないのです。
霊は肉体がないので、自分の思いがすべて叶ってしまいます。
行きたいところにはすぐに行けて、欲しいものはすぐに手に入り、病気をすることもなく、歳をとることもありません。
したがって悩み苦しむことがないのです。
これを極楽浄土、または天国というのかもしれません。
しかしその反面、人を思う気持ちが育たないのです。
つまり自分がひもじい思いをすると初めて相手の痛みがわかるようになるからです。
心を痛めることで相手への思いやる心が育つのです。

魂があの世からこの世に生まれてくるのは、利他愛を学ぶためです。
自分のことから相手のことにどれだけ意識を向けられるか。
それは人が人としての尊厳をどれだけ持つことができるかにつながっていきます。
自分のことをまず考えてしまうのが人です。
しかし、自分のことをどれだけ二の次にできるかが、人として生まれてきた目的でもあるのです。

そのことを忘れて己のことばかり考え、我欲に走ってしまうことはこの世に生まれてきた意味を投げ出しているわけです。スポーツは体を鍛えないと成長しません。
ましてやオリンピックでメダルを取ろうとするならば、過酷な練習が伴います。しかし苦しさの向こうには代えがたい喜びと感動がまっているのです。
心も魂も苦しまないと成長しません。わずか数十年の人生では、魂はほんの少ししか成長できないので、何度も生まれ変わってくるのです。
魂の故郷はこの世ではなくあの世であり、この世に一時的に武者修行に来ているのです。この修業をもっと楽しく過ごす方法があります。
それはこの世に生まれてきた目的を自覚することです。
己の我欲を少なくして、相手のことを思うこと、つまり利他愛を実践することです。我欲が強くなるとストレスが生じてエネルギーのバランスが乱れ、病気になるのです。
人に喜んでいただくことを優先していけば、多くの病気はなくなっていくでしょう。

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