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れいこん通信

れいこん通信No6 因果応報Ⅱ

19年08月22日

2018年6月のれいこん通信は因果応報についてです。

前回に引き続いて、今回も「因果応報」について考えてみたいと思います。
今目の前に起きている現象の多くは、過去にそして前世に行った行為が返ってきていると言われています。特に苦しいことや辛いことは、誰のせいでもない、自分が過去や前世で誰かに同じ思いをさせたことを知るために起こっていると仏教では教えています。

「因果応報」をもう少しわかりやすくしてみましょう。
昔からある嫁と姑のバトル。少し前まではドラマでもよく取り上げられ、姑のいびりに嫁が苦しみ耐えるパターンでした(今のご時世では逆なことも)。
嫁はどうして私がこんなに辛い思いをしなければならないのか、姑が憎い、姑さえいなければ、また旦那がもっとしっかりして私をかばってくれたらこんな苦しい思いをしなくてすむのにと考えます。
このケースを因果応報的に考えると、実は前世で嫁と姑の関係が逆で、今世の嫁の前世が姑で、今世の姑の前世である嫁をいびっていたということになるのです。
良いも悪いもやったことが返ってくるのが因果応報の法則。

ここで大切なことは、誰しも前世の記憶があるわけではないので、まさか私をいじめている姑を私の前世がいじめていたなんて思いもよりません。
ただただ憎いだけ。しかし、この憎しみをずっと思い続けると姑のいびりは止まりません。
なぜなら前世で行った行為(カルマ)を認識し反省させるために、これでもかといびってくるのですから。
逆に詳細はわからなくても、姑がいびってくるのは前世のカルマが返って来ているんだと認識し、受け入れていくといびりはなくなっていくのです。
それを現すのが「ありがとう」なのです。「ありがとう」はすべてを受け入れる言葉でもあるのです。

しかし現実問題として、姑のいびりに対して「ありがとう」と言える人はなかなかいません。
そのためいつまでもいびりは続くのです。
そしてこの関係はさらに来世まで持ち越され、憎しみや恨みは膨れ上がるばかりで、やったらやり返すを延々に続けることになるのです。
このようなことを続けていては何のためにこの世に生まれてきたのか、その本筋から逸脱してしまうことになるのです。

人は死んでしまったらそれですべて終わりであるという考えが蔓延しています。
そのせいか、近頃はさまざまな殺傷事件や人とのトラブル事件が多発しています。戦前までは神や仏、そして魂の存在をそれなりに多くの人が信じていました。
そのため死んでもいずれは生まれ変わってくるので、来世のために徳を積もうという考えをしっかり持っていました。そのため昨今のような自分さえよければ、今さえよければとういう短絡的な考えによる行動をとる人は少なかったのです。

今一度、因果応報を考えてみましょう。今抱えている問題や苦しみの多くは自分が前世で行ったことが、いろいろな形となって返ってきている。
それは病気や不慮の事故にケガ、家庭不和や骨肉の争い、人とのトラブル、何をやっても上手くいかない、努力が報われない、結婚ができない、子供ができない、などさまざまな悩み事はひょっとして因果応報なのかもそれません。
だとしたら、人のせいや物せいにするのではなく、その問題を少しずつ受け入れていくことが一番のそして早い解決策になるのかもしれません。問題を受け入れるための実践の第一歩が「ありがとう」です。今、悩んでいること、苦しんでいることに対して「ありがとう」を言ってみてください。心の中で唱えてもよいでしょう。

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