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新時代通信No131【日本の神々23】

22年02月28日

この通信は「日本の神々」についてお伝えします。現津神の多くはムーの時代の人々の魂が長い時をへて神になったのですが、中には最近の人が神になった場合もあるのです。最近と言っても2000年ぐらい前に実在した人なのです。その代表的な神様が、天橋立の神なのです。

 

日本三景の一つである京都の天橋立は、今から2000年ほど前に人が住みだすようになりました。一説には弥生人が住んだのが始まりだと言われていますが、実は縄文人がさらに2000年前から住んでいたのです。気候もよく漁をするにも最適の場だったので、多くの縄文人が住んでいたのです。しかし、弥生人がその場を奪ってしまったのです。そこに住んでいた縄文人たちは、丹後の山奥へ移住していったのです。この時、縄文人を導いたのがスメラミコトの子弟だったのです。そして、丹後の山奥で生活できるようにいろいろなことを教えたのです。丹後ちりめんや丹後の黒豆、塩や干物の作り方を教えたのです。それは今もこの地域の特産品となっているのです。天橋立の神としては存在していませんが、この海岸一帯を神聖な場として崇めて来たのです。そのため、この海岸を維持するために現在もその保全管理が行われているのです。

 

天橋立の神は、いわゆる普通の神様とちがってその御神体が祀られているわけではありません。海岸自体が神聖なものとして崇められてきたのです。しかし、今は観光地として多くの人が訪れるのですが、本来はそれなりの敬意を持って行かなければならないのです。そして、天橋立の先には真名井神社があるのですが、その歴史は古く2500年前から祀られています。この神社に祀られている神様の本当の御神体が天橋立の神様なのです。しかし、それは公にはなっておらず、ほとんどの人はしらないのです。この神社の入り口にある石碑には最近まで六芒星が刻み込んでありました。六芒星はユダヤの証でもあるのです。つまり、伊勢神宮と同じようにこの地は昔、ユダヤから渡って来た人たちが住んでいたのです。この地区一帯に住んでいたのですが、縄文人と共生していたのです。そこに弥生人が入ってきて、土地を奪われてしまったのです。ユダヤの人々が信仰していた神がモーゼに食べ物を与える壺を授けたことは有名な話ですが、その壺がマナの壺なのです。つまり、この神社の名前の由来はユダヤの人々が食べ物に困らないようにと、マナの壺を御神体としたのです。真名井の井はヘブライ語ではなく日本語の飯、つまりめし、ご飯のことなのです。要は食べ物の神様として崇めたのです。

 

この神社のふもとにある籠神社の主祭神は稲作を広めた神と言われています。つまり、弥生人が大陸から渡ってきて稲作を普及させた名残りなのです。元々は真名井の神が祀ってあった所に、弥生人たちが自分たちの神を祀るようになったのです。そのため、真名井の神は山の奥の方に追いやられてしまったのです。しかし、現在の場所が一番エネルギーが高いところなのです。つまり、籠神社も含めた一帯が真名井の神を祀る聖地だったのです。そして、現在の真名井神社がある地が一番のパワースポットだったのです。ここでは今も湧き水が出ています。聖地の条件が満たされているのです。

 

このように日本古来の神様が大陸から渡って来た人たちによって、隅に追いやられている場合がとても多いのです。すでにお伝えしたように、神社がある場の多くは龍脈が交差するある意味でのパワースポットなので、必然的にそこに神を祀る場を作るようになってきたのです。古くから日本の神々が祀られていた場を、大陸からやって来た人たちが自分たちが信仰する神を祀るようになっていったのです。古くからある神社の多くは湧き水があり、自然災害の影響も受けにくく、さらに農作物がよく育っていたのです。必然的にその周りに人は住むようになり、感謝の意を伝えるために神を祀るようになったのです。それが神社という形に発展していったのです。昔は今のような社殿や神殿もありませんでした。石や岩を神に見立てて祀っていたのです。それが次第に立派な建物を建てるようになり、儀式や作法が作られていったのです。神はそのようなことを望んでいるわけではありません。いつも神を信じ、畏敬の念を持っていればそれでよいのです。形式にこだわるだけの今のあり方は神が望んでいるものではなく、人が勝手に作り上げたものであり、神の名を借りた偽善者にすぎないのです。心から神の存在を信じている神職があまりいないのが現実なのです。

 

多くの神職がこれからどうなっていくのか、おそらく神の御裁きが下るでしょう。今まで神の名を借りて私利私欲を貪ってきた神職ほど、その御裁きは辛辣となるでしょう。病気やケガ、事故に自然災害、さらには突然死もあり得るでしょう。人々のお手本となるべき立場の者が、神を冒涜することをしているのですから致し方ありません。自業自得というものです。もうその御裁きは始まっています。容赦はありません。この御裁きを実行されるのがアマツヒコネノカミ(天津日子根神)なのです。古事記ではアマテラスノカミの玉から生まれた神とされていますが、天津神なので次元がかなり上なのです。今までお伝えしている多くの神は現津神で、元々は人であった魂が神になったのです。国津神はスメラミコトがお創りになった神々で、天津神はこの地球やすべての生き物をお創りになった神なのです。まったく次元が異なるのです。この神様は特に日本の国津神や現津神を統括する神様で、それらの神がその御役目を果たせるように導いておられるのです。まずは、それぞれの神がしっかりとお働きになれるように大陸から入ってきた神々、その多くは邪神なのですが、排除し始めているのです。そして、邪神を崇拝している神職も。

 

もちろん多くの神職は邪神などとはこれっぽっちも思っていません。当然ですが、しかしご利益ばかりを煽ることはその片棒を担いでいることになるのです。また、日本古来の神々の本来の御役目を歪曲してご利益信仰に仕立て上げていることも同じなのです。おそらく神を心から信じている神職は、100人に1人程度でしょう。仏教界も同じです。仏を心から信じている僧侶は神職よりも少ないでしょう。アマツヒコネノカミは容赦はしません。神職も僧侶も偽善者は神罰を下していくでしょう。神の国を再び取り戻すために。

 

これほどまでのことを公にすることは、とても勇気のいることです。私も改めてこの通信の内容の事の重大性に身を震わせています。一歩間違えば社会的に抹消されます。いや、命を狙われ本当に殺されるかもしれません。そのため、時々この通信を書くことをためらっているのです。もちろん神を心から信じています。しかし、私も今までに何度も邪気に翻弄されてきたため、この内容のどこかに邪気の思いが紛れ込んでいるかもしれないかと不安になることもあります。でも、やはり信じて進むしかないのです。たとえどんな状況になっても神が導き、助けてくださると信じるしかないのです。それが私の今世の役目でもあり、果たさなければならない責務なのです。

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