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新時代通信No191【魂の誕生11】

22年03月11日

この通信は「魂の誕生」をお伝えします。魂は肉眼で見ることはできませんが、写真などに写ることがあります。丸い形をした青白い色をしています。オーブやたまゆらと呼ばれています。自然現象とも言われていますが、今の科学ではその実体を解明することはできていません。しかし、オーブこそが魂なのです。

 

オーブがなぜ写真などに写るのか、それは人の目には見えない光線をカメラは捉えることができるからです。カメラのレンズはさまざまな光を通すことができます。人の目は一定の波長の光しか通さないために、見えないのです。つまり、強力な紫外線や赤外線を通さないようにして、網膜を守っているのです。カメラのレンズは人の目よりも多様の波長を通すのでオーブや霊が写真に写るのです。俗に言うところの心霊写真もそうなのです。私たちが見える世界はほんのわずかな世界だけなのです。オーブは実は私たちの世界には多く存在しているのです。中でも一番多いのがいわゆる浮遊霊で、自分が死んでいることが理解できなくてさ迷っている霊なのです。比較的青白く、人が多く集まる所にたむろしています。その次に多いのがいわゆる幽霊といわれるものです。怒りや憎しみ、恨みや嫉妬が強くて、この世に強い執着を持っているためにさ迷っているのです。このオーブは比較的に青黒く、特定の場所に居座っています。このオーブが時には心霊写真として人の顔や体の一部として写り込むのです。そしてもう一つがいわゆる邪気と呼ばれるもので、動物霊や妖怪などのオーブなのです。これらのオーブは大方は白っぽい色をしていて、比較的写真の下の方に移ることが多いようです。

 

オーブの中でも霊や邪気ではなく、神に近い存在が写ることがまれにあります。それはいわゆる精霊や妖精なのです。これらは緑色をしていて、比較的小さく写ります。ピーターパンに登場する妖精のティンカ―ベルは緑色の服を着ているのはそのためなのです。さらにアニメ「もののけ姫」に登場する森の精霊である「こだま」は白い色をしていますが、写真に写ると緑色になるのです。さまざまな存在が写真には写るのです。魂が存在することはこのようなことでも証明されつつあるのです。もう一つ証明する方法があります。それは多くの人が体験したことがある、いわゆる幽体離脱なのです。魂が一時的に体から遊離してしまうのです。しかし、ほとんどの人が幽体離脱をしていることを知りません。寝ている時に、夢で行ったこともない所で何かをしている時は幽体離脱をしているのです。夢は脳の記憶を整理する時に生じると言われていますが、実はその多くが幽体離脱をしているのです。場合によって時空を飛び越えることもあります。もちろん、過去の記憶が夢の中で再現されることもありますが、まったく記憶にない所に行った夢は幽体離脱しているのです。

 

なぜ寝ている時に幽体離脱をするのか、それは魂がさまざまな体験をするためなのです。人の一生は短いものです。せっかく生まれてきたからにはいろいろな体験をしなければなりません。1日のうちの4分の1以上を睡眠に使っているのはもったいないのです。そこで、寝ている間に体と脳を休ませて、魂は自由に飛び回ってくるのです。夢のほとんどは忘れてしまいますが、魂にはしっかりと記憶されるのです。

 

幽体離脱は意外とうたた寝している時に起こります。わずかの間でも魂は数十時間の体験をするのです。魂には時間の概念はありません。したがって過去や未来を自由に行き来できるのです。特に異国に行ったりすることが多いようです。ある意味で、うたた寝している間に世界旅行をしているのです。また、時には自分の数年先を見てきたりすることもあります。そのことで危険を回避したり、チャンスをものにしたりするのです。魂をおおっているエネルギー体であるメンタル体がそれをすべて記憶してくれるので、いわゆる潜在意識の中に記憶されて、その時になると記憶が蘇ってくるのです。もちろんすべてではありませんが、我を少なくしているとその記憶はスムーズに蘇ってくるのです。逆に我が強いとせっかくのチャンスを逃してしまうのです。我はある意味で魂の記憶を封じ込めてしまうのです。いつも「ありがとう」を口に出して言っていると魂の記憶がどんどん蘇ってきて、スムーズに事は運んでいくのです。それは直感やインスピレーションで降りてくるのです。まさしく導かれるままに生きていくのです。我を強く持つとそれは降りてこなくなるのです。どちらの人生がいいのかは、自分で判断されるとよいでしょう。

 

人生は自分の意志で切り開いていくものだと、多くの人が思っています。たしかにそういったことも必要な時もありますが、とても大変で苦しいことでもあるのです。逆に、あまり考えることもなく気ままにしていた方が返ってとんとん拍子で行くこともあります。いわゆる棚から牡丹餅人生を送る人もいます。どちらがよいのかは人それぞれですが、時には時の流れに身をまかすことも必要なのです。自分がすべてを切り開いて行くんだと強く思いすぎてしまうと、せっかくの魂の記憶が活用できないのです。さらに守護霊からのアドバイスも聞こえなくなってしまうのです。懸命に頑張ることも必要ですが、時にはのんびりすることも必要です。その使い分けをうまくできるかどうかが人生をスムーズにさせるポイントになるのです。懸命に頑張り続けるのではなく、時にはのんびりした時間を作る。オンとオフをいつもバランスよく取り入れて行くことが必要なのです。

 

人は自分の力だけで生きているのではありません。目に見えない存在の力にいつも助けられ、導かれているのです。そう思えば自ずと感謝する心が湧いてくるものです。自分の力は微々たるものなのです。そのことを今一度再認識することが必要です。一人の人に多くの守護霊と神様がいつもついていらっしゃるのです。神様はそれぞれに異なりますが、いわゆる守護神と呼ばれている存在なのです。しかし、その人が神の存在を信じなければ守護神は何もしません。信じてこそ導き助けてくれるのです。人それぞれに守護神は異なりますが、名前はわかなくてもその存在を信じて朝夕に感謝をすればきっとよい方向に導いてくれるでしょう。神社仏閣に出向いてご利益をお願いするよりも、自分の守護神様に日々感謝した方がはるかにご利益を授かることができるでしょう。

 

ちなみに、私の守護神様は薬師如来様のようです。まさしく私の本業である薬で人の病を少しでも和らげ、健康になるよう支えていくために、いつも御力をお貸し下さっているのです。人の体の状態や心の状態を教えていただき、それに見合ったお薬をお選びいただき、さらに生活面や食事面で気をつけることをいろいろと教えていただいているのです。したがって私は何も考えていないのです。私が治してあげようとか、高い薬を買ってもらおうとか、さらには自分は医者よりも偉いんだなどと一切考えていません。すべては薬師如来様が教えてくれるので、そのままに従っているだけなのです。そのため、時には薬が不要の時もありますし、時にはしっかり飲むようにすすめる時もあります。そこには私の思いは入っていないのです。

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