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神時代通信

神時代通信No3【木花咲耶姫神】

22年07月25日

木花咲耶姫神(コノハナサクヤヒメノカミ)は富士山のふもとに祀られている浅間神社の御祭神とされていて、神武天皇の祖父に当たるヒコホホデミノカミ(ホオリ・山幸彦)をお産みになられた神として崇められています。この神の父親がオオヤマヅミノカミで、偉大なる山の神とされてきました。実は、ムーの時代の巫女だったのです。

 

人類が誕生した時に、シリウスやプレアデスの宇宙人は自分たちの仲間の魂を地球に連れてきました。その時、その仲間の魂は過去の記憶をすべて封印されていたため、正しい道を歩めるように導く存在もいっしょに連れてきたのです。それはこの宇宙人たちの先祖が神格化した存在で、神の中でも比較的人に近い存在で、時々人に転生することもあるのです。その代表的な神が、コノハナサクヤヒメノカミなのです。この神は人の心の迷いを取り去り、感謝と謙虚さを実践させていく力をお持ちになっているのです。

 

古事記ではオオヤマヅミノカミの娘としてニニギノカミの妻となり、三人の男子を産んだとされています。そしてその男子の孫が初代天皇の神武天皇と言われているのです。最初にお伝えしたように、神武天皇は架空の人物で大陸から移住してきた王族の象徴としたのです。大陸とは朝鮮半島のことであり、当時内戦によって敗れた王族が日本に避難してきたのです。すでに、その前から移住してきた人たちがある程度の国を作っていたのですが、当時としては最先端の武器を使うことで征服していったのです。そしてある程度鎮圧したところで、自分たちが日本を統治するにふさわしい存在であることを知らしめるために、それまで伝えられてきた日本の神々をいろいろと歪曲して古事記や日本書紀を作り上げたのです。

 

コノハナサクヤヒメノカミは、今から1万5千年前に沈んだとされるムー大陸の住人だったのです。ムー文明はおよそ7万年前からその文明を発達させ、平和で自然と共存した生活を営んでいました。当時も神を深く信仰していたので、神官や巫女がいたのです。コノハナサクヤヒメノカミは当時人として転生していたのです。それまでも何度か人として生きて来たのです。その多くが神に仕える巫女や神官をしてきたのです。当時は天津神を中心に信仰していたので、それらの神からのメッセージを受け取ることをしていたのです。しかし、度重なるアトランティスからの攻撃を受けて多くの人が亡くなってしまったので、ムーはアトランティス大陸を沈めてしまうような波動兵器を使ったのです。しかし、それは大元の神の御怒りを受けることになってしまい、ムーもいっしょに海底に沈んでしまったのです。

 

コノハナサクヤヒメノカミや他の神官や巫女は、事前にそのことを知らされていたので、日本列島に避難したのです。当時の日本列島には縄文人が住んでいたのですが、すでに神を信仰していたのです。その神は彼らを創り上げ、地球に連れてきたシリウスやプレアデスの宇宙人なのです。東北の縄文遺跡で発見された遮光器土偶がまさにそうなのです。いわゆる宇宙服を着ているのです。特にサングラスのようなゴーグルが特徴なのです。縄文人は彼らを神と崇めていたのです。

 

ムーの避難してきた人々は、縄文人の信仰を尊重しつつ彼らにさまざまな文明を教えていったのです。そしていつしか縄文人はムーの人々も崇めるようになり、亡くなった後、神として祀るようになったのです。ムーの人たちは高度な文明を持っていましたが繁殖能力が弱く、子孫を残すことができなかったのです。このようにして生き残ったムーの人々は神として祀られるようになったのです。コノハナサクヤヒメノカミ、セオリツヒメノカミ、ククリヒメノカミ、アマテラスノカミ、トヨタマヒメノカミ、タマヨリヒメノカミ、イワナガヒメノカミ、そして宗像三女の神などがそうなのです。ムーの時代に神官だった男性は、スサノオノカミ、ニニギノカミ、ヤマトタケルノカミ、サルタヒコノカミ、そしてオオクニヌシノカミとして崇められるようになったのです。

 

コノハナサクヤヒメノカミはムーの時代に巫女として生きていたのですが、天津神からのメッセージを正確に受け取ることができたので、多くの巫女の中でも特別な存在だったのです。天津神は直接人にメッセージを伝えることはありません。それだけ次元が高いので、特別な人にしか伝えることができないのです。小学生の子どもに漢詩を伝えてもわからないのと同じことなのです。コノハナサクヤヒメノカミは元々神であったので、天津神からのメッセージを容易に受け取ることができたのです。その多くは、人はどのように生きていくべきか、神とどのようにつながるべきか、さらには自然とどのように共存していくかなどを伝えてきたのです。それを受け取り、神官が多くの人々に伝えていったのです。つまり、巫女が神と直接つながってメッセージを受け取り、その内容を神官が確認してわかりやすいようにして人々に伝えていったのです。これを審神者(さにわ)と言います。この慣習は明治時代まで引き継がれていましたが、今ではほとんどなくなってしまいました。神官も巫女も俗世間に染まり、神からのメッセージを受け取るだけの資格を持ち合わせていないのです。

 

「我は木花咲耶姫神なり。今、世の中が大きく変わる時を迎えたなり。その変化に対応できる人々を導き育てることが我の役目なり。大きく変わるとは、今までの考え方や生き方、そして生活様式すべてが変わるということなり。物やお金を中心とした生き方から、人を思いやり、そして目に見えない存在を信じ、さらには感謝と謙虚さを常日頃持ち続けることを大切にしていく生き方に変えることなり。そして、自然を大切にし、さまざまな生き物と共存していく生き方でもあるなり。それができるように導くのが我の役目なり。されど、我の力を発揮するためには、我の役目に叶う人が必要なり。我の力をその人を通して発揮するためであるなり。まだ、それに見合う人が十分におらず。今のままでは、時代の変化についていけない人々が自滅していくばかりなり。早急に我の役目を果たす人の出現を求めるなり。我の力を授けるなり。」

 

コノハナサクヤヒメノカミからの切なるメッセージでした。この神とつながることができる人は、多くいます。しかし、この神の存在やその御役目を知る人はほとんどいないため、つながることができないのです。この通信を読むことで一人でも多くの人がつながることを切に祈っています。つながるためにはどうしたらよいのか、この通信を縁あって読まれ、そして心に何かしら感じるものがある人はだれでもつながることができるのです。この神が祀ってある神社にいかなくても、いつもこの神を意識して朝夕に心の中で感謝を伝えていけばいいのです。すでに何にもの人がつながり、この神の御役目を実践しています。実践していくことが御役目を果たすことになるのです。感謝と謙虚さ、人を思いやり助け合うこと、自然を大切にし共存していくこと、そして神を信じていつも意識していくことなのです。コノハナサクヤヒメノカミは浅間神社の御祭神ではありません。後世の人たちがかってに祭り上げただけなのです。

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