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神時代通信

神時代通信No5【須佐之男神】

22年07月27日

須佐之男神(スサノオノカミ)は命(ミコト)とも呼ばれています。また、素戔嗚尊とも表記します。天照大神の弟で、天上界で大暴れして地上界に降りて来て、ヤマタノオロチを退治してヒーローになりました。しかし、これもまったくの作り話で、本当は農業の神であり、人が食べていくことに深く関わっている神なのです。

 

スサノオノカミがどうして農業の神なのか、この神もムーの時代に生きていたのです。神官でもあり、農業を指導することもしていたのです。当時の人々は菜食主義で、肉を食べることはほとんどありませんでした。しかし、十分な栄養価得るためにさまざまな研究が行われました。現在のような遺伝子組み換えなどは行わなかったのですが、何度も交配を重ねることで栄養価の高い野菜や果物を作ったのです。この頃は米ではなく、芋を主食にしていました。米が作られるようになったのは今から10000年前ぐらいからで、日本では3000年前からとなります。なぜムーの時代に米が作られなかったのか、それはムー大陸の地質に問題があったのです。ムー大陸はある意味で軽石のような地質だったのです。海底火山の噴火によってできていて、比較的噴火が治まってから早い段階でムーの人たちは住むようになったのです。日本列島も溶岩によってできている部分が多いのですが、何十億年の歳月をかけて肥沃な大地が作られていったのです。

 

ムーの人たちは実は日本列島から移住したのです。およそ7万年前、当時は縄文人ではなくムーの人たちが住んでいたのです。しかし、国土が狭いため一部の人たちが新しくできた大陸に移住したのです。その後、日本列島に住んでいた人たちは、大陸からの侵略者によってほとんどが滅亡してしまったのです。スメラミコトを中心とした一部の人たちは、現在の高山を中心とした山奥にひっそりと住んでいたのです。そしてムー大陸が沈む時に、また一部の人たちが日本列島に逃れてきたのです。その頃には縄文人が住んでいたので、ムーの民は縄文人と共存したのです。そしてさまざまな文明を教えたのです。スサノオノカミは特に農業を縄文人に教えました。当時はまだ稲作はしていなかったので、栗の栽培やさまざまな野菜にイモ類の栽培を教えたのです。縄文人は肉を食べていましたが、栗やイモ類を栽培するようになると、肉を食べることは少なくなっていきました。

 

スサノオノカミはさらに貝類や魚の捕り方、さらには保存法や加工方法も教えていきました。米以外の日本的な食の文化はスサノオノカミによって創られたのです。その後、大陸から稲作が伝来し、それまでの食の文化と融合していったのです。どうして稲作が日本列島で普及していったのか、それだけ大陸からの移住者が増えて、縄文人は迫害を受けて住む土地を奪われていったのです。アイヌや沖縄の人たちがその末裔となるのですが、どちらも本来米ができない所に住んでいるのです。このことも過去の歴史を物語っているのです。沖縄はサンゴでできた島、北海道は冷害で米が育たないのです。稲作は中国で始められたと言われていますが、実はその起源ははるか遠くの星である、アンドロメダから伝えられたのです。本来は縄文人と共に発達するはずでしたが、縄文人にはまだその方法を使いこなせなかったので、中国で発達させたのです。

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