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神時代通信

神時代通信No51【神々の意志4】

22年11月07日

現在、宇宙電波望遠鏡で確認されている銀河はおよそ2兆個ほどあります。一つの銀河に太陽のような恒星が数千億あり、さらにもっと多くの惑星が存在するのです。すでにお伝えしましたが、この通信でお伝えしている大元の神は、40ほどの銀河を御創りになった神なのです。したがって、その上にはさらなる神が多く存在しているのです。

 

神々の世界はいったいどうなっているのか、それはだれも知りません。しかし、歴然とした秩序があり、上位の神から下位の神にさまざまな支持が伝えられているのです。この通信は、天の川銀河を統括しているアンドロメダ銀河連邦の最高位に位置する神をサポートしている11人の宇宙人から伝えられてくるメッセージをお伝えしています。

 

現在、多くの人が宇宙からのメッセージを受け取っています。その多くは神からのものではなく、神の振りをした邪神からのものが多いのです。邪神は、元々は人の魂が悪に傾いて人間界にいつまでも居座っていた魂がいくつも合わさってできたものです。何百年、何千年とかけて数百、数千もの魂が凝縮されたものなのです。神から伝えられてくるメッセージを盗み聞き、それに尾ひれ葉ひれをつけていかにもそれらしくして人々に伝えるのです。時には神からのメッセージよりももっともらしく。そのため、人々は惑わされてしまうのです。神からのお告げを受け取る人の多くは邪神からなのです。また、宇宙人からメッセージを受け取る人の多くも。どのようにして見分ければよいのか、昔は神からのお告げを受け取るのは巫女でした。しかし、時には邪神からのお告げがあるため、それが真実であるかを確認することをしていたのが宮司であり、神官だったのです。そしてそれを判定することを審神者(さにわ)と呼んでいたのです。

 

しかし、今ではそのようなことができる宮司や神官はほとんどいません。なぜなら、神が本当に存在していると信じている宮司や神官はいないからです。ましてや、アルバイトの巫女に神からのメッセージを受け取ることなどはできないのです。神からのメッセージを受け取ったと言っている人の多くは、それがほんとに神からなのかは自分では判断できないのです。なぜなら、目に見えるわけでもなく、第三者が判定しているわけでもないからです。したがって自分がそう思っているだけなのです。しかし、その内容は時には信ぴょう性のあるものなので、本人も周りの人も信じてしまうのです。新興宗教の多くはそのたぐいのものが多く、結局は多くの人を支配下に置いて言いなりにさせることをしているのです。新興宗教は信者を増やすことが第一であり、そしてなるべく集まりに参加することを強要します。さらには少しでも多くの献金を募るのです。献金だけではありません。お守りやお札、本や新聞を買うことを強要します。今話題の教団は、教祖の書いた本を3000万円で信者に買わせています。それがまかり通ってしまうのが新興宗教なのです。その多くは邪神なのです。立派な講堂や寺院に教会を建てることでその権威を現わそうとしているのです。高山のある新興宗教は黄金の講堂を建てて、世界中から信者を呼び込んでいます。神は立派な神殿や講堂を建てることを望んではいません。いつも身近にいることをただ信じてもらいたいだけなのです。

 

人は神を信じようとしています。しかし、神は見えないため、どのように信じたらいいのかいつも迷っています。その迷いを利用して人をうまく利用しようする邪神が現れるのです、それが宗教なるものを作っていくのです。人は弱いものです。苦しんでいる時、迷っている時、何かにすがりたくなるのです。そんな弱っている心をたぶらかすのが邪神なのです。まさしく人の弱みに付け込むのです。心が弱っている人は、何かにすがりたくなるのです。すがれば心は楽になるのです。しかし、一度その安堵感を得ると、麻薬のようにどんどんすがっていってしまうのです。なぜなら迷い苦しむことがなくなるからです。ひたすら信じていれば楽になるからです。ある意味で盲目となるのです。宗教はまさしく人を盲目にさせるのです。盲目となれば悩むことはなくなります。心はとても楽になるからです。しかし、盲目になると善悪を見極める力はなくなります。上からの言われることをなにも疑わずに邁進していきます。人の心とは弱い者です。

 

人がこの世に生まれて来たのは、苦しみもがきながら何が本当なのかを模索するためなのです。苦しいからと言って宗教にすがりつけば楽になります。確かにさまざまな苦しみにさらされればすがりたくなるものです。しかし、安易にすがりつけば邪神の餌食となるのです。そのようなことがこの数千年間行われてきたのです。神をどこまで信じることができるのかが試されているのです。今一度考えてみることが必要なのです。神はある意味で神をどこまで信じ切れるかを試しているのです。中には辛くて邪神に走る人もいます。それも当然なのかもしれません。とても過酷な試練でもあります。どうか、神はいつもそばにいることを信じてください。そして信じればきっと助けてくださいます。それまで何とか耐え忍ぶことしかないのです。耐えて奇跡を待つしかないのです。待ちきれない人が新興宗教に走ってしまうのです。

 

今、多くの神が人とつながろうとしています。神は意志しかないため、物事を動かしていくのは人でないとできないのです。神々のそれぞれの御役目に応じて、人も選ばれていきます。その神の御役目に応じた人がつながっていくのです。そして、その神から御力を授かって手足となって動いていくのです。しかし、そのような人はまだ少なく、神の意志が十分に発揮されないでいるのです。多くの人は神社仏閣に神仏がおみえになると信じて、さまざまな願い事を求めて行きます。しかし、そこには神仏はいません。いるのは邪神や邪気のたぐいなのです。自分の我欲を叶えて欲しいとやって来る人には、神仏は対応しません。対応するのは邪神や邪気なのです。そのことをしっかりと認識してください。

 

これから新興宗教は衰退していくでしょう。すでに今国会で新興宗教に対する法的規制が可決されます。さらに、多額の献金問題もクローズアップされているため、これから献金する人は少なくなっていくでしょう。話題の教団はこれで解散状態に追い込まれていくことでしょう。他の新興宗教も信者勧誘はひかえるようになるため献金が減り、財政的に厳しくなっていくでしょう。通常の神社やお寺も参拝者や檀家が減り、さびれていくことでしょう。ご利益や御朱印帳目的で参拝する人たちも、そろそろ目を覚ます時がきたのです。神仏は真に何を求めているのかを。そして神仏は何のために存在しているのかを今一度よく考えてください。ただ、神社仏閣が昔からある所は、ある意味でのパワースポットでもあります。空気が澄んでいて、身も心もさわやかにしてくれます。疲れた時や、ストレスがたまった時は訪れるのもよいでしょう。そしてご神木や巨樹に触れてみるのもよいでしょう。きっとパワーを授けてくれます。そのパワーは樹木が作り出した精霊でもあるので、きっと心と体を元気にしてくれることでしょう。

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