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コスモ通信No13【ルクバト】

23年04月27日

射手座の星ルクバトは、まさに人の心を射貫くことを学ぶ星なのです。射手座は、上半身が人間で下半身が馬のケンタウルスが弓を射る姿をしています。戦いの名人と言われていますが、本当は戦いではなく魂の本質を見定めるのです。つまり、それぞれの魂の本質を教えてくれる役目を果たしているのです。

 

魂は大元の神から生み出されるのですが、その実体は光子がいくつも集まったものなのです。光子はさらにいくつかの素粒子からできています。素粒子はおよそ10の100億剰の種類があるため、無限の種類の光子ができるのです。一つ一つ異なった光子がさらにおよそ100億個集まったものが魂なのです。つまり、風船のようなものに光子がおよそ100億入ったものが魂なのです。一つとして同じ魂はないのです。しかし、魂自体は自分の特性を知りません。その特性を教えてくれるのがルクバトの宇宙人なのです。

 

魂は自分の特性を知ることで、何を学ぶべきなのかを知るのです。多くの魂はシリウスで誕生し、一般的なことを学んでから、プレアデスに移って愛について学びます。そして、射手座のルクバトに移って、その魂の本質を教えてもらってから、それに適した星に移っていくのです。およそ数億年の歳月をかけて。最近はスピリチュアル的な人が増えてきましたが、中には人の魂が生まれた星がわかる人がいます。その多くは、シリウスやプレアデスと言うのですが、それはまちがってはいませんが、大切なのは最終的に学んだ星の存在なのです。その星で何を学んだのかがとても重要なのです。シリウスやプレアデスでは基本的なことを学ぶのですが、他の星ではその魂の特性に合った専門的なことを学ぶのです。ある意味で大学でもあるのです。大学で学んだことを実社会に生かしていくのと同じなのです。

 

ルクバトはある意味でセンター試験のようなもので、それぞれの魂の特性や能力に応じてその魂に適した星を教えてくれるのです。しかし、中には再度シリウスやプレアデスで勉強し直す場合もあります。勉強が不十分で戻るのではなく、さらに基本的なことをより極めるために戻る場合もあるのです。どの星に行くかは、最終的にはその魂が決めるのですが、大方はルクバトの宇宙人のアドバイスに従うことが多いのです。およそ9割が従うことになります。しかし、中にはそのアドバイスを受け入れない魂もいます。それらの魂は、さまざまな星をめぐって、自分に適した星を自力で探すのです。当然ながら、さらに数億年の歳月がかかるのです。そのような魂は、やがて宇宙人になる可能性が高いのです。実は私の魂もその一つなのです。果たして何億年も先に宇宙人になっているかが楽しみですね。

 

ルクバトの宇宙人はそれぞれの魂に適した星を見つけるために、多くの試験のようなことをするのです。それまで学んできたことの中から、各項目ごとにどれだけの理解を深めているかによって、その魂の特性を見極めていくのです。魂はそれぞれに個性があるので、それをいかに伸ばしていくかを見極めるのです。およそ100の星の中から、その魂に見合った星を見つけ出してくれるのです。
日本の現在の教育は、ある意味で均一な人を育てるようなシステムになっています。逆の見方をすれば、個性をつぶしていくのです。ある一定の枠にはめ込もうとするため、その枠から外れる子どもたちを除外していくのです。多動性障害や学習障害、アスペルガーや自閉症など、あらゆるレッテルを貼って除外していくのです。本来教育とは、子ども個性を引き延ばすためにあるのですが、残念ながら日本の教育はその真逆にあるのです。なぜこのような教育システムになってしまったのか、それは大企業の要請に応じているからです。戦後、経済を立て直すためには、組織に従順な人を必要としたのです。つまり、会社組織を強固なものにして、経済を急速に高めようとしたのです。そこには、組織に反発するような人材は必要とされなかったのです。ある程度従順で、そして勤勉で、さらに和を乱さない人材を重視したのです。元々日本人にはそのような気質があったので、すんなり受け入れられていったのです。

 

しかし、そのようなシステムがじょじょにエスカレートして、少しでも枠から外れると排除しようとする状態になってきたのです。ある意味で、「出る杭は打たれる」ようになってきたのです。そのため、不登校や自殺する子どもたちが増えてきたのです。現在の日本の教育は、まさに「金太郎飴」製造工場なのです。このような教育を続けていると、多くの子どもたちは学ぶ楽しさを失い、しいては生きる力も低下してくるのです。まさにそのような状態になっているのです。個性をいかに伸ばしていくのかが、これからの大きな課題になるのです。

 

個性を育てるためには、一人一人を尊重することが大切なのです。しかし、多くの教師は生徒をある意味で一人の人間とは見ていません。あくまで、無知な子どもと見なしているのです。教師が教えてあげないと何もできないと思っているのです。たしかに知識的には教師とくらべれば、大いに劣りますが、人としては逆に教師よりも上回る子どももいるのです。そのことを謙虚に受け止めた上で、子どもと接していかなければならないのです。そして、教師を束ねる教育委員会や文部科学省も同じで、すべて上からの指示に従うようにさせられています。もっと、教師の個性を自由にさせることしないと、子どもの個性を伸ばすことができないのです。教師も今の教育システムではいけないと思っていますが、上からの圧力が強くて自由にできないのです。

 

このような現状を変えていくには、ある意味で今の教育システムとは異なる教育を別枠で行っていくしかないのです。つまり、学校とは異なる場所で、子どもの個性を伸ばす教育を行うのです。たとえば、昔の寺子屋のような私設の塾を地域ごとにボランティアで開き、学校では教えないことを教えていくのです。日本人のすばらしさや、神仏の話、日本の正しい歴史やその役目、さらには自然との共生やその大切さなども。学校ではあえて教えないようなことを教えていくのです。そこには、子どもたちの興味をそそる内容が多く含まれているのです。興味を持てば、自主的に学ぶようになっていくのです。そして、知ることの楽しさを体験することができるのです。しいてはそのことが個性を伸ばすことにつながっていくのです。

 

知識を詰め込むだけの教育では、個性を育てることはできません。さまざまなことを知る中で、何か興味を持つことがきっかけとなり、学ぶことの楽しさへとつながっていくのです。現在の学校では、表面的な知識しか教えていません。人は何のために生まれてきたのか、死後の世界はどうなっているのか、魂はどのように誕生したのか、宇宙人はどのようなことをしているのか、地球は、宇宙はどのように誕生したのか、すべての生き物はどのように誕生したのか、どれも子どもたちの興味をかりたてるものばかりなのです。

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