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真日本史伝

真日本史伝No23【鎌倉時代】

25年06月20日

鎌倉時代は、源頼朝が征夷大将軍となって実質的な政治を行うようになった1185年から、足利高氏らによって滅ぼされるまでのおよそ140年間を言います。この時代も大きく3つに分けることができます。前期が北条氏が台頭するまで、中期が北条氏の執権が確立され、後期が元寇の影響によって北条氏が滅亡するまでとなります。

 

鎌倉時代前期は、武士による政治を確立する時期でもありました。天皇や貴族による政治とは決別した政治をするために、いろいろな改革を行いました。その一番の特徴が封建制度なのです。将軍が武士に領地を与えて保証する代わりに、戦時となれば将軍の指示に従うことを確約するのです。そのことが「いざ鎌倉」と言う言葉を生み出したのです。この制度は後々まで受け継がれるようになるのです。江戸時代はまさにその集大成となったのです。しかし、天皇を中心とする朝廷はそれをこころよく思わなかったため、さまざまな圧力をかけてきたのです。その一つが、源頼朝の弟の義経に貴族の位を与えたり、貴族の娘と結婚させることで義経を朝廷側につかせようと画策したのです。そのため、頼朝は義経を成敗することになったのです。

 

義経は最終的には奥州藤原の元に逃げ込んだため、頼朝は義経成敗に乗じて奥州藤原も滅ぼしたのです。このことで、東日本を手に入れることとなったのです。西日本は天皇を中心とする朝廷が支配していたので、東西で二つの政治勢力が拮抗していたのです。当時の後白河上皇は武士による政権を恐れていたため、さまざまな手を使って阻止してきたのですが、後鳥羽天皇が主体となると力づくで征夷大将軍に任命させたのです。征夷大将軍になると、戦時の時はお金や兵を集める権限が得られるのです。権代納言や右近衛大将よりも官位は下なのですが、戦時における特権があるため、いちいち天皇に許可を取る必要がなかったのです。ちなみに、幕府は中国から由来した言葉で、皇帝に代わって指揮を執る将軍の出先における臨時基地、つまり幕を張った陣営のことを指していたことから、将軍がいる場所を指すようになったのです。

 

中期になると、源頼朝の妻の実家である北条氏が台頭してきます。北条氏は一御家人にすぎなかったのですが、その優れた才覚によって将軍を補佐する執権となって、実質的な将軍となったのです。このことに朝廷は不満をいだくようになり、とうとう武力衝突となって朝廷側が敗北しました。当時の天皇は島流しとなったのです。これ以来、幕府は朝廷や西国を監視するたために六波羅探題を設置したのです。そして、いざという時は武力によって鎮圧する権限も与えていたのです。それだけ幕府に対する反発がつよかったのです。特に朝廷は財源となる荘園を幕府に没収されてしまったため、強い反感を持っていたのです。

 

後期になると、中国の元が九州に攻め入るようになりました。いわゆる元寇です。二度に渡る侵略によって多くの損害を受けたため、幕府は防衛のために多くの武士を博多や長崎に配備したのですが、すべて自費を強いられたため、多くの武士は財政的に困窮していったのです。その不満が大きくなり、幕府に対して敵対心を持っていた後醍醐天皇と手を組んで鎌倉幕府を倒すことになったのです。

 

飛鳥時代も奈良時代も、そして平安時代も鎌倉時代も、結局は天皇とその配下による権力争いが行われてきたのです。この後の室町時代も同じで、そして戦国時代も経て江戸時代になってやっと天皇はあくまで象徴であって、政治には一切を口を出さないようにさせたのです。天皇の周りには貴族からなる公家集が取り巻いていたのですが、この集団こそがいわゆる八咫烏(やたがらす)なのです。彼らの先祖はおよそ2000年前に、秦の始皇帝の特命でやってきた徐福の一団で、さまざまな文化を持ち込みましたが、一番の目的は日本をある意味での植民地化することにあったのです。武力ではなく、権力者を懐柔して裏でコントロールすることが目的だったのです。八咫とは大きいこと、長いことを意味していて、三本足のカラスとは、黒い鎧に長い槍を持っていたことから付けられたのです。徐福を守る親衛隊だったのです。

 

その子孫は現在もいて、戸籍はなく、皇族や政治家を裏で操っているのです。そして、日本をさまざまな形で操っているのです。この存在は決して表に出ることはありません。ただ、暗殺された元総理もこの存在と深くかかわっていたため、次の操り人形を仕立てることに手間取っています。皇室にも手を伸ばしているのですが、秋篠宮の長女は民間人と結婚し、次女は破天荒な振る舞いが多く、長男はかなり陰湿な所があるため、対人関係がうまくできません。そのため、新たな方法を取るようになったのです。SNSなどでさまざまな情報を発信して国民を不安にさせ、混乱させようとしているのです。たとえば、地震や火山噴火がいついつ起こるとか、株が暴落するとか、中国が攻めてくるとか、さらには国が財政破綻するとか、いろいろなフエイクニュースを流すことで、国民の目をそらそうとしているのです。

 

国民が真実から目をそらしている間に、中国系や朝鮮系の人たちが日本の土地やマンション、さらには森林や水源地をどんどん買いあさっているのです。つまり、2000年前にやってきた目的を今も続けているのです。八咫烏の主は、現存する中国の王朝の子孫なのです。秦の始皇帝の子孫が今も現存していて、日本を占領しようとしているのです。それに朝鮮系の人たちも加担しているのです。このような話は、今回初めて公となりました。今まではタブーとされてきたのですが、2000年来の呪縛から解き放たれる時がきたのです。八咫烏のたくらみが今、少しずつ暴露されつつあるのです。いずれはその存在が表にさらされる時がやってきます。おそらく2年後には。現在は2025年の6月です。

 

八咫烏が暗躍してきた背景には、天皇自体は実質的には何の権力もないのですが、天皇の名の元にいかに権力を集中させるかが八咫烏の役目でもあったのです。そしてそのための法律や規則を作っていったのです。強い権力を持たせることで、裏で糸を引く八咫烏にとっては日本自体を支配しやすくすることになるのです。さまざまな権力者を従うようにさせることが最大の目的でもあったのです。天皇はそのための大きな駒に過ぎなかったのです。したがって、歴代の天皇は八咫烏に取って扱いやすい存在でなければならなかったため、へたに天皇が自分で政治をしようとしたりすると、あらゆる手段を使って潰していったのです。八咫烏だけではなく、時の権力者も同じように天皇を自分の思い通りにさせようとしたのです。それが顕著になったのが、明治時代なのです。国民に天皇を崇拝させるように、小さい時から洗脳していったのです。明治政府にも八咫烏は深くかかわっていたのです。伊藤博文と最近暗殺された元総理は遠い親戚筋となるのです。二人とも拳銃で暗殺されたのは偶然ではなく、深い因縁があったのです。この二人の先祖は2000年前に朝鮮半島からやってきた王族なのです。

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