人は苦しい時や辛い時に、神仏に救いを求めます。そしてその状況から抜けられるようにしてもらいたいと懸命に祈ります。その願いが急激に変わるような時を奇跡と言っています。奇跡は、めったに起こらないのが普通ですが、これからは奇跡が身近になっていきます。なぜなら、神仏とつながる人が多くなっていくからです。
今、さまざまな神仏が動き出しています。多くの人は神社や寺院に神仏はお見えになると思っていますが、ほとんどの神社仏閣には神仏はいないのです。なぜなら、多くの人とつながるためには、神社仏閣に留まっていてはできないからです。さらに、神仏を神社仏閣に縛り付けていた封印が解かれたのです。神社の鳥居は、神を神社に封印するための物で、大陸からやってきた人たちが、日本古来の神の力を封印するために立てるようになったのです。寺院には、門前に仁王像が祀ってあることが多いのですが、邪気を払う役目があると言われています。しかし、やはり仏を閉じ込めるために立っているのです。これらの封印が龍神の力によって解かれ始めているのです。
神社仏閣は元々、神仏が一時的に降りてくる場であったのですが、人々が自分たちの願い事をいつも聞き入れてもらうために、鳥居や仁王像によって縛り付けてきたのです。まさに人の身勝手な思いで、神仏を封印してきたのです。そのため神仏は、その御力を十分に発揮することができないまま数百年から1500年以上もの間、神社仏閣で鎮座されてきたのです。しかし今、世の中が大きく変わる時となったので、龍神がその封印を解いて、神仏にそれぞれの役目を果たさせようとしているのです。神社仏閣では、神仏の御利益を懸命にピーアールしていますが、本来神仏は人々にご利益を与える存在ではないのです。人が人として正しい道を歩むように導く存在であり、そのため時には優しく、時には厳しく接するのです。人のために懸命に何かしらのことをする人には力を与え、悪の道に染まろうとしている人には厳しい処断を下すのです。それが神仏の本当の御役目なのです。
長い間、人々は自分たちの都合のよいように神仏の本当の御役目を歪曲してきました。その元となったのが古事記や日本書紀なのです。これらの内容はほとんどがでたらめで、神武天皇が日本古来の血を引く天皇であることを知らしめる捏造本として作られたのです。昔から伝わる神話をかき集めてシャッフルして、天照大神の子孫であることを無理やりこじつけたのです。神武天皇は朝鮮半島からやってきた王族だったので、それを隠すために古事記や日本書紀を作ったのです。これらを元に現在の神社は、それぞれの神の素性と御役目を信じてきたのです。そして、人々を集めるためにご利益をでっち上げるようになったのです。寺院もやはり同じで、多くの人に来てもらうためにご利益を懸命にピーアールしてきたのです。何度もお伝えしているように、神仏はご利益を叶えてくれる存在ではないのです。そのことをしっかりと認識しなければなりません。いまだに御朱印帳を持って、神社仏閣巡りをしている人が多くいますが、そのようなことをいつまでも続けていると、神罰が下されることになるのです。
今、多くの神仏は御自分の御役目を果たすために人とつながろうとしています。神仏は意志はあっても実体がないため、その御役目を果たすには手足となって動いてくれる人とつながる必要があるのです。ではどのような人とつながるのか、日々、感謝と謙虚さを実践し、いつも人のために何かしらのことを懸命にやっている人なのです。自分の我欲にとらわれている人には、当然ながらつながることはありません。神仏とつながる人は、つながる予兆のようなものが現れます。雲が神仏の形に見えたり、車を運転しているとやたらとぞろ目のナンバーの車とすれちがったり、カメラに閃光が写ったり、さらには夢が現実化したりするのです。このようなことが頻繁に起こるようになると、神仏とつながるようになるのです。私の周りにはここのような人が多くいて、そのようなことを体験するといつも連絡をしてくださるのです。そして、何か意味があるのですかと聞いてくるのですが、やっとそのことに答えることができるようになりました。
このような現象がある意味での奇跡となっているのです。先日、ある女性が片側3車線の道路を運転していて赤信号で止まると、前に止まった三台の車のナンバーが、88,888,8888だったそうです。また、ある女性はなにげなく雲を写メで撮ると、仏様や龍神のような形をしていることが多いのです。さらには、私に関わっている人の中には、すでに目に見えない存在からメッセージを受け取って、そのことを実践している人もいるのです。まさに神仏とつながっているのです。もちろん、つながりにも強弱はありますが、確実にそのつながりは強くなっているのです。これからさらにそのような人たちと関わっていくことになることでしょう。
奇跡は、己の我欲を満たすためには起こりません。宝くじの1等賞に当たることは奇跡ですが、そのお金をどのように使うかで神とつながるか、人生を棒に振るかが試されるのです。奇跡は誰にでも起こりますが、それをどのように生かすかが問われるのです。ある意味でこれから多くの人が試されることになります。奇跡を人のために生かすか、己のためだけに生かすか、神仏はしっかりと見定めているのです。奇跡を奇跡と思っていない人もいます。すべてが当たり前と思っている人は、神仏とつながることはありません。ある意味で、日々の生活は奇跡の連続なのです。多くの神仏や守護霊、そして先祖の力によって私たちは生かされているのです。自分の力で生きていると思っている人は、そのことをまったく信じません。そのため、感謝や謙虚さを実践することが少ないのです。自分は目に見えない存在に生かされているのだと思えば、自ずと感謝や謙虚さを実践するようになるのです。
宝くじの1等賞が当たることだけが奇跡ではないのです。日々の生活の中で生じるすべてのことが奇跡でもあるのです。それをどれだけ自覚できるかが、これからの生き方に大きく影響していくのです。神仏は今、一人でも多くの人とつながろうとしています。しかし、だれでもいいわけではないので、該当する人を見つけ出すのに大変苦労されています。そして、少しでも感謝と謙虚さが実践できるように奇跡を起こして気づかせようとしているのです。さまざまな奇跡がこれから起こっていきます。ささいなことでも奇跡だと信じていくようにしてください。そうすれば、神仏はもっと奇跡を起こすようになります。そのことでその人はもっと感謝と謙虚さを実践するようになり、そして神仏とつながっていくのです。神仏とつながると、その神仏の御力を授かるようになり、毎日が奇跡の連続となっていくのです。このような生き方がこれからの時代の生き方となっていくのです。そのような人を一人でも増やすことが、私の役目でもあるのです。この通信は、これから週に1度のペースで発信していくことになります。