漢方コラム

お問い合わせ

真日本史伝

真日本史伝No16【日本の神々10】

25年06月09日

多くの神々の本当の御役目とその素性をお伝えしてきましたが、このシリーズはこれで終わりとなります。いかに古事記や日本書紀がでたらめであるかがおわかりになったかと思います。今、多くの神がこれからの新しい時代を御創りになるために、それぞれに見合った人とつながろうとしています。神と人が一つになって創っていくのです。

 

【阿遅鉏高日子根神:アヂシキタカヒコネノカミ】
この神は、ムーの時代に神殿を作っていた人の魂が神格化したのです。当時はギリシャのように石で神殿は作られていたのですが、この人が現在のような社の原型を作ったのです。なぜ木造にしたのか、当時は多くの神殿が作られていたため、石が不足してしまったので、木材を使うようになったのです。しかし、木材は石に比べると耐久性が弱いので、特殊な技法が考え出されたのです。その技法が現在も受け継がれていて、伊勢神宮などにも使われているのです。社は神が住まわれるところではなく、神が降りてきた時に滞在する場なのです。では神はどのような時に降りてくるのか、それは、神を心から信じている者が神に対して心から感謝を伝える時に降りてくるのです。そして、感謝に対して神がその者に神の御力を授けてくれるのです。神の御力とは、それぞれの神によって異なりますが、基本的には愛を授けてくれるのです。その御力を授かることでその人はさらに人のために働くのです。これが日本古来の神と人の関係なのです。

 

【天津甕星神:アマツミカホシノカミ】
この神は、暗闇に明かりを灯してくれる神なのです。暗闇とは、苦しんでいる人や悲しんでいる人の心の状態で、そのような人に生きる希望を与えてくれるのです。希望とは、幼い子を亡くした親に次の子を授けるとか、不治の病にかかった人にわずかな時間でも生きていることのすばらしさを感じさせたり、経済的に困窮している人にわずかでも足しになるように援助の手を差し伸べたりするのです。すべてを助けてくれるわけではありません。少しでも希望が持てるようになれば人は頑張ろうという気持ちになるのです。そのきっかけを与えてくれる神なのです。

 

【久延毘古神:クエビコノカミ】
この神は、人の命を引き延ばし、人生をしっかり振り返ることで来世の新たな課題を見いだせるようにする神なのです。久しく命を延ばし、過去を振り返させることを助ける神なのです。毘はそばについて助けると言う意味なのです。

 

【野見宿禰神:ノミノスクネノカミ】
この神は、野原を見渡すことができるようにしてくれる神なのです。野原とは広い視野のことであり、狭い考え方では乗り越えられない苦難を、見方を変えさせることで乗り越えさせてくれる神なのです。宿禰はある種の称号で、野見神では格式がないので、後世の人が付けたのです。

 

日本古来の神々は、お伝えしてきたようにご利益を与えてくれたり、願い事を叶えてくれることはしないのです。人が正しい道を歩むように導いてくれたり、苦しい時に救いの手を差し伸べてくれたり、人が生きていく上で必要な物を授けるようにしてくれているのです。ある意味で、人がちゃんと生きていけるように黒子となって支えてくれているのです。そのことをしっかりと認識すれば、自ずと神に対して感謝するようになるのです。しかし、多くの人は神にお願い事ばかりをしています。いつまでもそのようなことをしていると、神罰が下されることになるのです。すでにそれは始まっています。神は鬼神となって、人々が目覚めるようにさせようとしているのです。目覚めない人は淘汰されていくのです。

 

神がその御役目を果たすためには、人の力が必要なのです。神は意志はあっても実体がないので、基本的には物を動かしたり人を動かすことはできないのです。そこで、それぞれの神の御役目にかなった人とつながることで、その人はその神の力を授かってその御役目を代行していくのです。これからの時代はまさにそのような人しか生き残ることはできないのです。いつまでも己の我欲と執着に溺れている人は、淘汰されていくのです。そのことをしっかりと認識するようにしてください。

 

神は目には見えませんが、たしかに存在するものであると信じるために、日々感謝を伝えていくのです。特定の神ではなく、すべての神に感謝を伝えていくのです。朝、起きたら心の中で「すべての神様、昨日はありがとうございました。本日もよろしくお願いします。」と唱えるのです。このことを続けていくことが神とつながっていく唯一の方法となるのです。特定の神社に日参しなくても、神々はいつも見ているのです。ぜひ、みなさんも行うようにしてください。

 

今、多くの神社には神はいません。神々は、その御役目を果たすために飛び回っているのです。ただ、熱心に感謝を伝える人があれば、一時的に神社に帰ってきますが、まずいないと思ってください。逆に、神社には多くの人が落としていった我欲や執着の念がたまって、さまざまな邪気や妖怪がたむろしているのです。願い事目的で参拝すると、その邪気や妖怪を拾ってしまうかもしれません。くれぐれも気を付けるようにしてください。特に稲荷神社や八幡大社、そして天満宮などは邪気や妖怪の巣窟になっているのです。それだけ多くの人が願い事を叶えてもらうために参拝しているからです。

 

いかに現在信じられていることがでたらめであることが、わかっていただけたでしょうか。神の本当の御役目をしっかりと認識し、そして感謝をしっかり伝えていくことがこれからの在り方となるのです。パワースポットや御朱印長巡りなどをしている人は、神罰が下されるかもしれません。宮司や神主さえも、ご利益ばかりを吹聴しているとやはり神罰が下されるかもしれません。そもそも、多くの神職は本当に神が存在しているとは思っていないのです。あくまでも形式的にやっているだけなのです。そのような神職はこれからの時代には不要になっていくのです。僧侶も同じです。

 

これからの時代は神と人が一つになっていく時代でもあります。そのためには日々感謝と謙虚さを実践しなければなりません。そして人のために何かしらのことをしていくのです。たとえどんなに些細なことであってもいいのです。実践することが大切なのです。

ページTOPへ戻る

電話する

お問い合わせ