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真日本史伝

真日本史伝No22【平安時代2】

25年06月17日

平安時代は中期になると、遣唐使を派遣することをやめたことで日本独自の文化が開花していきました。特に仮名文字が普及した時代でもあるのです。清少納言や紫式部が宮廷内の様子を枕草子や源氏物語で表現したのです。また、有名な建物である平等院鳳凰堂が造られたのもこの頃になるのです。

 

この時代は中国語が主流で、身分が高い人は漢字を使っていました。一般庶民は、現在のような言葉とは異なる言葉を使っていたのです。その言葉は、朝鮮で使われていのもので、やはり中国語が元となっていて、あくまで会話に使うだけで書いたり、読むことはできませんでした。それだけ中国の影響が強かったのです。漢字はむつかしいため、身分の高い男性しか使えませんでした。遣唐使が廃止されて、中国の影響が小さくなってくると、むつかしい漢字を使わなくてよい雰囲気が出てきて、仮名文字が普及するようになったのです。仮名文字は漢字を元に作られたと言われていますが、実ははるか昔に作られた神代(かみよ)文字の一つなのです。

 

30万年前に誕生した天皇(スメラミコト)は、いろいろなことをしたのですが、その中でも神代文字を御創りになりました。神代文字はアイウエオの五十音をさまざまな形で表記するのです。仮名文字もひらがなも龍体文字もカタカムナ文字も、その一つなのです。現在わかっているだけで48数類あるのです。世界の言語はこの神代文字を元にしているのです。漢字も同じで、ある意味で逆輸入されたのです。平安時代前期までは中国語が主流だったのですが、遣唐使が廃止されて少しずつ日本独自の文字が普及するようになったのです。当時は、神代文字の存在すら知られていなかったのですが、古い神社に伝えられていた古文書に書かれていた文字が仮名文字だったのです。それを宮廷の女官たちが使うようになって、広まっていくようになったのです。このような説は一度も発表されたことはありません。ひらがなも同じように広がっていったのです。

 

長い歳月をかけてひらがなが普及し、日本語が成り立っていったのです。漢字に訓読みと音読みがあるのは、漢字の中国読みは当時は必須だったため、音読みが付けられたのです。しかし、その意味を多くの人は知らなかったので、訓読みを付けるようになったのです。それをひらがなで表すようになったのです。このことで一般庶民の人たちも漢字が使えるようになったのです。およそ500年かけて現在の形になったのですが、さまざまな表記や意味が漢字には込められているため、なかなか覚えることは大変です。しかし、言葉には計り知れない力があることを多くの人は実感しているのです。

 

この頃、多くの人々が疫病で亡くなったり、地震が多く起こったため、地方まで政治が行き届かなくなっていました。そこで仏の教えによって人々の荒んだ心を救おうという機運が高まっていったのです。念仏を唱えて阿弥陀仏にすがって極楽浄土に往生できるという浄土信仰が普及していったのです。そして後の法然や親鸞が受け継いでいったのです。

 

平安時代の中期は、藤原氏が天皇を補佐する形で摂政や関白の地位を作り、政治の実権を握るようになっていきました。しかし、中央での実権は掌握できたのですが、地方までは十分に目が届かなかったため、有力な貴族や寺院がその力を付けるようになり、税の流れが滞るようになっていきました。その結果、政治の腐敗が蔓延し、藤原氏の力も衰退していったのです。藤原氏は、天皇との姻戚関係を作ることでその権力を維持していたのですが、天皇側も藤原氏の横暴さに嫌気を指すようになっていたのです。そこで、天皇が次の天皇に皇位を譲った後も、その影響力を残すことで政治の実権を握ろうとしたのです。これを院政と言います。そして皇位を譲った天皇を上皇と呼び、その力を強めるためにある種の私設の軍隊を持つようになったのです。その一つが平氏なのです。

 

平安時代後期は、平氏がその力を拡大することで政治の実権を握ることになります。平氏は中国との交易によって莫大な財力を持つようになり、金の力でのし上がっていきました。しだいに天皇を凌駕するようになり、実質的な支配者となったのです。しかし、そのことに不満を持つ貴族や武士が増えてきて、何度も反乱を企てたのですが、圧倒的な武力で鎮圧されていきました。源氏も一度は容赦ないほどに成敗されたのですが、後にその勢力を盛り返して平氏を滅ぼしたのです。そして鎌倉幕府を作っていくのです。

 

平安時代は貴族や皇族が栄華を誇っていましたが、一般の人は税と徴用に苦しめられていたのです。一般の教科書では、そのことについてはあまり触れていません。天皇による中央集権が確立されたことを強調するものが多いのですが、裏を返せば一部の特権階級が優遇される体制ができたのです。当時の天皇や皇族、そして貴族の多くは、自分の保身を第一に考えていたため、一般の人々のことはほとんど考えていなかったのです。あまり良い言い方ではありませんが、いかに税を搾り取るかを考え、そのための法律をいくつも作っていったのです。それは今の政治家に引き継がれているのです。日本の政治が世界のなかでも3流といわれるのは、国民のことをいかに第一に考えているかが一つの指標になるのです。1000年以上も前の政治が今も行われているのです。

 

この頃から仏教が広がっていったのは、重税に苦しむ人々が仏の教えにすがることで、心のよりどころとしたのです。しかし実際は、重税に苦しむ人たちが反乱を起こさないようにするため、仏の教えによって人心を掌握しようとしたのです。この手法は日本だけでなく、キリスト教やイスラム教、そして中国でも行われてきたのです。奈良の大仏はある意味でその象徴でもあったのです。平安時代は最澄や空海を手厚く庇護したのは、仏教を浸透させるためであり、数々の豪華な寺院を建設したのもそのためなのです。すべては天皇を頂点とする中央集権を確固たるものにするためだったのです。

 

このような視点から歴史を見ていけば、歴史はとても面白いものになり、頭に入りやすくなります。中学や高校の歴史は、歴史的な事件と年代を暗記することが多いため、多くの学生が歴史嫌いになってしまうのです。日本史も世界史も、つまるところは権力争いで成り立っているのです。それをきれいごとで塗り固めた史実として学び、覚えようとすると味気ないものになってしまうのです。すべては人の我欲と執着によって歴史が作られてきたのです。きれいごとでは済まされないのです。そのことを踏まえた上で、この史伝をお読みになってください。いつの世も人は際限ない我欲を追い求めるものなのです。

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