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新時代通信No38【太古の文明2】

21年10月11日

この通信では太古の文明についてお伝えします。太古の文明は何度も繁栄しては滅びました。なぜ同じことを何度もくり返してきたのか、それは人の我欲に際限がないからです。人の我欲が文明を開化させていくのですが、その行く先は自滅なのです。ある程度のところで満足をすることを知らないと、自滅してしまうのです。

 

何度も繁栄と自滅をくり返してきた人類に対して、神はある約束をすることにしたのです。神を信じて神を敬えば人類を滅ぼすことはしないと。そうでもしないと人類は何度も同じことをくり返して、本当に滅亡してしまう可能性があったからです。そこで神は人としての尊厳を守るための約束事を示したのです。この約束を守れば末永く人類を繁栄させると。それがモーゼの十戒として語り継がれてきたのです。この十戒はすでに50万年前に神から伝えられているのですが、守られることなく神の御怒りに触れてリセットボタンを押されてきたのです。モーゼが神から受け取ったとされるのは、あくまでもたとえ話でそれははるか昔から伝えられてきたのです。そしてその神はイスラエルの神ではなく地球を創造した神であり、すべての宗教の元となる神でもあるのです。その名は日本では天照大日大神(アマテラスオオヒオオカミ)様と呼ばれ、他の国のではヤハエ、ミロク、メシア、アーラ、聖観音と呼ばれています。

 

十戒を与えられても人類は同じことをくり返し、とうとうここまで来ました。神ももうこれ以上の猶予は与えないおつもりです。そのことを多くの魂たちは感じていたので、こぞって今の時代に転生してきたのです。魂の状態では自分のやりたいことを実体験できないからです。中には我欲を満たすために転生してきた者もあり、また中には何とか神の御怒りを鎮めるために転生してきた者もいます。前者がアトランティスの民を過去世に持つ者であり、後者がムーの過去世を持つ者なのです。アトランティスの民は支配力と独占力が強かったので他の国をどんどん支配し、その人口を急速に伸ばしていきました。最盛期でおよそ70億の民がいました。その内の半分ほどが今の時代に転生しています。ムーの民は自然と共存することを大切にしていたので、広大な土地にぽつりぽつりと住んでいて、子供も比較的に少なかったので最盛期でも1億人でした。今の時代に転生しているのはやはりその半分ぐらいです。今の時代に生きている人の魂の半分は、ムーやアトランティス以外の古代文明で生きていた人たちの魂が転生しています。古代文明はいろいろあって小さいものを合わせると1万ほどあり、現在わかっているのはそのうちの100分の1ぐらいです。その多くは地中深くに、また海底深くに眠っているのです。

 

ある意味で、今の世界はアトランティスとムーの対立と同じことをしているのです。それは今から1万5千年前のことと同じなのです。ムーの民は本来平和主義だったので、それをいかに貫くかを今回守ろうとしています。先の大戦で多くの日本人が亡くなったのは、ムーの民ではない人の魂を持った人を選別する意味があったのです。日本には弥生時代の頃から多くのアトランティスの末裔が入ってきました。そしてムーの末裔である縄文人を北海道や沖縄に追いやって、日本を支配してきたのです。

 

日本人と一口に言っても実は単一民族ではなく、先住民族である縄文人にムーの民が同化し、さらに大陸からと海から、さらには島伝いにやってきたアトランティスの末裔がミックスされて作られているのです。特にムーの民の性質を強く受け継いでいる子孫には、YAP遺伝子があります。この遺伝子は日本人固有のものだとされ、お隣の国の韓国や中国の人には見られません。また、この遺伝子は父親から受け継がれる性質があり、日本が男子を家に継がせる習慣が根強いのはそのためでもあるのです。今、皇室の女性天皇についての議論が上がっていますが、天皇の先祖はムーの王の先祖でもあるのです。つまり、日本にははるか昔、およそ30万年前から天皇、当時はスメラミコトと呼ばれていた存在がいて、神とのつながりを強く持った文明があったのです。それは今の岐阜の高山を中心にして繁栄していたのです。少数の民と一部の皇族が暮らしていました。幾度の天変地異や核戦争にも影響されることなく、その文明を引き継いできたのです。このスメラミコトの遺伝子にYAP遺伝子があり、それがムーの民に受け継がれ、また今の日本人に受け継がれているのです。そのため、天皇は男子であることが必要なのです。しかし、今生天皇のご息女は女性でありながらYAP遺伝子を後世に伝える能力を持っているのです。それについてはまた改めて詳しくお伝えします。

 

日本の古代文明については改めて詳しくお伝えしますが、30万年前から脈々と続いてきた文明があることはまったく知られていません。なぜなら、その文明を大陸からやってきた弥生人や、その後何度も移住してきた朝鮮系や中国系の人たちが自分たちのルーツの方が高度な文明を持っていることにしたいがため、この文明の存在を隠してきたのです。しかし、この文明の存在は多くの人々の口伝えで伝わり、時には本となり、時にはその存在を証明する遺跡が発掘されてきました。明治になって発表された竹内文書は、この日本の古代文明を詳細に伝えているものなのですが、あまりにも奇抜な内容で当時の学者や政府からは作り話だと決めつけられてしまいました。しかし、この文書の内容の大方は事実なのです。何度も書き写されてきたため、少し強調するために内容が大げさになってしまっているところもあります。その部分を当時の学者が重箱の隅をつつくようにして、偽物だと判断したのです。

 

竹内文書を執筆したと言われる竹内宿祢は古事記や日本書紀を編集した人でもあり、日本の古代の歴史については精通していたのです。古事記や日本書紀は時の天皇の命によって編集されたのですが、いろいろ調べていく中ではるか昔から日本には脈々と続く文明があることを知り、それを書として残したのです。古事記や日本書紀は当時の天皇の素性を、神の子孫として認めさせるためにむりやりこじつけて作らせたものなのです。竹内宿祢はそのことに憤りを感じて古事記や日本書紀とは別に、日本の文明の真実を伝える竹内文書を作成したのです。それは長い間、武内家の子孫だけに代々受け継がれてきたのですが、明治の始めに公に公表されたのです。それは、明治政府によってそれまでの藩による統制がなくなり、言論の自由が認められるようになったことと、明治政府による西洋文化の奨励に対して日本の文化の崇高性を知らしめるためでもあったのです。

 

竹内文書が世に出てからさまざまな議論がなされましたが、結局は明治政府の西洋文化中心の方針に逆行するものだとされて、闇に葬られてしまいました。しかし、また最近になってこの文書が脚光を浴びるようになってきました。これから多くのことが解明されていくでしょう。日本の古代文明の存在が証明される日はまじかに迫っています。

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