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新時代通信NO51【日本の歴史7】

21年10月21日

この通信では日本の歴史についてお伝えします。徳川幕府はその長い歴史に幕を閉じ始めました。黒船の到来で鎖国を開かざるおえない状態となり、国内は尊王攘夷で二分し、激しい闘争の中で新しい政府ができていきました。しかし、その裏にはフリーメイソンが大きく関わっていたのです。その手下となったのが坂本龍馬なのです。

 

黒船の到来で国内は尊王攘夷運動が過熱し、開国派と尊王派の間で激しい闘争がくり返されました。初めは長州が優勢でしたが、幕府連合に制圧されて痛手を負いました。しかし、長州と薩摩を結び付けて幕府を倒させたのが坂本竜馬。竜馬がなぜこのような大改革ができたのか、それはイギリスのグラバーが竜馬に豊富な資金と武器の取り扱いをさせたからです。グラバーはさまざまなものを取り扱っていましたが特に武器の取り扱いがメインで、日本だけでなく他の国にも武器や弾薬を売っていました。グラバーの後ろにはフリーメイソンがついていたのです。フリーメイソンは400年前にイギリスで発祥した秘密結社で、自分たちの利益になることは何でもし、人殺しや脅迫、誘拐、さらには武器や麻薬の密売までしていました。この結社は、イギリスが世界を制覇するために作られた実戦部隊で、イエスス会と協力して他の国をいかに乗っ取るかを画策してきたのです。当時、日本は鎖国派と尊王派で二分し内戦状態にあったので、これに乗じて日本を植民地にするために両者に武器や弾薬を提供して双方を自滅させる予定でした。その使い走りとして竜馬を利用したのです。

 

竜馬はグラバーの真意を知らずに薩長同盟のお膳立てをし、さらに双方に武器や弾薬を提供しました。さらに自らも討幕のためにさまざまな画策をしました。たとえば自分の出身藩である土佐藩を動かし、討幕に参加させました。また、薩摩藩の西郷を長州の桂と引き合わせるために、莫大なお金と武器を薩摩と長州に提供することで実現させたのです。ドラマのようなきれいな話ではなく、お金と武器を巧みに使った闇商人だったのです。それはすべてグラバーから提供され、指示を受けていたのです。しかし、道半ばで暗殺されてグラバーの目論見は実現されませんでした。そこでグラバーは明治政府に取り入って、蒸気機関車や鉱山事業に紡績工場の設立などさまざまな取引をすることで莫大な利益を得、本国を潤わせたのです。明治政府はグラバーと三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎から多額の資金を提供してもらうことで樹立したのです。そのため、この二人にはかなりの特権を与えて商売を自由にさせたのです。三菱は今もその特権を利用して政府と深くつながっていますが、さまざまな弊害が露出してきています。三菱自動車の不正行為や三菱重工の新型飛行機の開発の断念、三菱東京UFJ銀行のシステム障害の頻発、さらには三菱電機のやはり不正行為などさまざまな面で長年の癒着や膠着した組織体系の弊害が出てきているのです。

 

明治政府はある意味で商人がパトロンで困った時はお金を貸してもらい、その代わりに商売を自由にさせていたのです。そのため、富国強兵をスローガンにお隣の国を植民地化し、さらには中国へも進出しようとしたのです。その裏にはグラバーや三菱の商売を儲けさせる意味もあったのです。

 

明治閉府が最初に担ぎ上げた明治天皇は日本古来の血を引く人でしたが、政府の言うことになかなか従わなかったため、政府は長州にいた朝鮮の王の血を引く皇子にすり替えたのです。これは残されている写真からも立証されています。明治天皇は利発ではありましたがとても我欲が強くて政府の言うなりにはならず、独断で行動することがよくありました。市中に出回って庶民と同じものを食べたり、遊郭にもたびたび訪れました。また、政府高官の指示に逆らって時には激怒して切り付けることもありました。そのため政府は明治天皇を隔離するために皇居を作り、そこから出さないようにしたのです。現在の皇居はそのためにできたのです。明治天皇は時々全国の視察には外出することを許されましたが、その時はここぞとばかりに羽目を外されました。中でも熱海では芸者を上げてどんちゃん騒ぎや裸踊りもしました。また、伊勢では神宮参拝をほったらかしにして遊郭に忍び込んだりと、到底天皇とはほど遠い存在でした。それでも政府は天皇を中心にした社会を作ろうとあの手この手を使って国民をまとめようとしたのです。

 

明治政府の神仏分離令によって神道を国の宗教として確立しようとしました。そのため多くの寺院と神社が分離され、新たな神社が日本全国に建てられました。そしてその神社をランク付けして、地域ごとに中核となる神社を配置しました。その多くは今でも一宮と呼ばれていますが、すでに1000年前からのものもあるため、そのランク付けでは各神社が我こそが一番でると言い出して一時は収拾がつかなくなりました。そこで明治政府は神社の大きさに関係なく、また古さに関係なく政府の意向で決めることになりました。そのため各神社は政府に対して賄賂を贈り、何とか一宮にしてもらうように画策しました。そのような裏での画策があって今の神社のランクが決まっているのです。そもそも神様にランクを付けること自体がおかしいのです。ましてや人間が。そして全国の神社は協会に所属していて、ピラミッド型の組織に組み込まれているのです。各神社は協会に対して一定の上納金を納めることになっています。少しでも遅れると催促されるので、各神社の宮司や神主はお金を集めるのにやっきになっているのです。そのためあの手この手で参拝客を増やそうとしています。縁結びや恋の成就、受験祈願やはたまた宝くじの当選祈願などなりふり構わずに。

 

明治になって義務教育がなされるようになりましたが、その中で日本の歴史や神話も教えるようになりました。古事記を元に日本の神についてや天皇のことなど、国語の中に取り入れていきました。しかし、古事記自体が偽りの書でもあったので、子供たちは盲目的に日本の神のことを覚えさせられていったのです。さらに天皇の由来も。それが後の世界大戦に利用されて天皇のために命を捧げることが美徳化され、さらには神風特攻隊や自爆することを駆り立てていったのです。明治政府はある意味で国民を神道で洗脳することで、好きなようにコントロールしていったのです。この明治政府を作った人たちの多くは朝鮮の血を引く人たちで、伊藤博文を始め大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允などは特にその血が濃く、支配欲と独占欲を強く持っていました。新しい日本を造ると言う名の元に、自分たちの権力をいかに拡大していくかを一番に考えていたのです。国民のためではなく、自分たちのために。

 

西郷隆盛はその人柄が美徳化されていますが、実は本当の西郷は奄美大島に流された時に死んでいて、西郷に成りすました人物がその後活躍したのです。なぜそのようなことをしたのか、西郷の人徳を利用したのです。顔や体つきは似ていましたが性格はまったくちがっていて、やはり権力を手に入れるためにあらゆる手段を講じました。最後は西南戦争で亡くなりましたがその死は真実ではなく、生きていたのです。

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