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新時代通信No56【世界の歴史2】

21年10月25日

この通信では世界の歴史についてお伝えします。中世の歴史は宗教と深く関わってきました。特にキリスト教とイスラム教の激しい対立が元にあり、たえずどちらかの勢力が優勢になることが歴史を動かしてきました。ヨーロッパを中心にキリスト教が、中東を中心にイスラム教が普及し領土を奪い合っていたのです。

 

イスラム教の国でも特に強国だったのがオスマントルコ。現在のトルコの元となった国ですが、繁栄期は地中海全域とギリシャやエジプトそしてヨルダン、シリアも支配していました。これほどまでに拡大したのは、その戦術が巧みで兵士の勇猛果敢なところがあったからです。オスマンの兵士は死ぬことを恐れませんでした。それは今でもその影響が残っているのですが、戦いで死んだら彼らの神アッラーの元に行けると信じていたからです。そのため自ら命を神に捧げる覚悟ができていたので、どんな状況でもひるむことがなかったのです。キリスト教徒にとってイスラムの兵士はそれこそゾンビのような存在で、とても恐れられていました。このような状態にしていったのは、やはり宗教を利用したためです。オスマンでは王の権力を強めるために、幼い頃からコーランを読み聞かせ、1日に5回の礼拝を必ずさせるようにしてきました。王はアッラーの神の代行者で、絶対服従を教え込んでいったのです。ある意味の洗脳です。そのため王の命令は絶対で、逆らうことはできませんでした。逆らうことを考えることすらありませんでした。

 

このような宗教の利用は日本でも明治の時代から取り入れられ、神道と天皇を利用して国民を洗脳し兵士の育成に利用していったのです。それが神風特攻隊や自爆することが当たり前だとおもう環境を作っていったのです。神道と天皇の存在を巧みに利用することを考え出したのは山県有朋で、欧米を視察して軍隊の創設を行ったのですが欧米列強に対抗するにはかなりの格差があるため、それを埋めるために精神面を強化するようにしたのです。当時の兵隊の多くは農家の次男や三男がほとんどで、武士のような忠義心は持っていなかったのでそれをもたせるために天皇に対する忠誠心を植え込んでいったのです。そのために小学校で天皇と日本国の成り立ちを教え、天皇に対しての忠誠心育てていったのです。さらに神仏分離を行い、神社に日々参拝することでモチベーションを高めていったのです。それは昭和の大戦まで引き継がれ、多くの兵士が自らの命を天皇に捧げていったのです。どこの国でも宗教を巧みに使って人々を戦いに送り込んでいったのです。

 

オスマンの勢力を何とか阻止するためにヨーロッパの国々は、智略を使ってオスマンの内部分裂を画策しました。王の弟をそそのかしてクーデターを起こさせ、共倒れするようにさせたのです。このことでオスマンはその勢力をそがれ、じょじょに縮小していったのです。このようなことは今でも行われています。イラクやアフガニスタン、リビアにグルジアなどは同じような手口で政権が乗っ取られ、ヨーロッパ諸国の傘下にさせられていったのです。その中心的な役割をしているのがアメリカとイギリスで、日本や他のヨーロッパ諸国もその片棒を担がされているのです。
イスラム教の特徴は女性を蔑視していることと、1日5回の礼拝をおこなうこと、そして断食にあります。なぜ女性を蔑視するのか、アッラーの神からお告げを受けたとされるムハンマドは女性のことについては何も規制することは言っていませんでした。それがだんだんと女性を蔑視するようになったのは、時の権力者が戦いをする兵士が女性にうつつを抜かして戦意を低下させてしまわないように、女性はふしだら者としてさげすむようにさせたのです。そのため女性にはスカーフであるヒジャーブをおおわせて、顔を見せないようにさせたのです。さらに教育も最低限でよいとされ、また10代半ばで親が決めた人と結婚させられました。コーランに女性にヒジャーブを着用するようにと書かれているのは、ムハンマドが書いたものに後年になって書き入れたのです。イスラムの女性は長年虐げられてきましたが、やっと古い習慣から解放されるようになってきました。しかし、国によっては今も古い習慣を強要されています。

 

イスラム教徒の人は1日5回の礼拝を必ずします。それは夜明け、正午、午後、日没、そして夜に。メッカの方角に向かっての礼拝は昔からしていたわけではありません。およそ500年ぐらい前からやはり時の権力者が、王への忠誠を示す証として民にさせるようになったのです。当時の王はメッカに住んでいたので、その方角に向かって日に5回の礼拝をさせたのです。1回でもしないと厳罰が下されたので、民は何があっても欠かさずに礼拝したのです。それが習慣となって今に至っているのです。断食をラマダンと言いますが、これも当初はありませんでした。これもやはり時の権力者が、民を手なずけるために行わせたのです。一年に一度、おおよそ1ヶ月の間日の出から日没までは飲食はせず、ケンカや喫煙、場合によって性行為もしないようにさせられたのです。その代わり、夜は好きなだけ食べてもよいとされました。つまり、ひもじい思いをすることで同じように苦しんでいる人のことを思いやれるようするためだとされています。しかし、実際は断食した後に御馳走を時の権力者が振舞ったのです。一定期間断食させて、その後に御馳走を与えることで権力者への忠誠心を高めようとしたのです。それがいつしか今のような形になったのです。

 

キリスト教もイスラム教もいかに民を権力者が操ることができるようにするためのものであったかを認識しなければなりません。日本でも神道の他に、仏教が同じように使われてきました。江戸時代になると檀家制度が作られ、民は必ずどこかの寺の檀家にならなければなりませんでした。寺は檀家からの寄付でその生計を立て、またその民の戸籍や素性を管理しました。時にはもめごとの仲裁をしたり、時には悪いことをしそうな人を役人に報告していました。ある意味でのスパイ的なこともしていたのです。もちろん仏の教えを伝えることが本業でしたが、役人から少額なお金をもらっていろいろと情報を提供していたのです。特にそのことを積極的におこなっていたのが真言宗で空海が広めたとされていますが、空海の意志を継いでいるのは高野山だけで、他の宗派は時の権力者と手を結んで檀家制度を普及させることで自分たちの勢力を広げていったのです。真言宗がこれだけ多くの宗派と門徒が多いのはそのためです。

 

宗教はいつの世も権力者と結びつき、互いにその権力を使って人々を支配しコントロールしてきました。現在も新興宗教の中には政治と結びついて、その権力を拡張させているものもあります。しかし、それがあまりにも露骨になりすぎて離れていく信徒が目立ってきました。いずれはそのことが明白となり、多くの信徒が去っていくことになるでしょう。また、現在の多くの寺は檀家制度が崩壊し、経済的にも厳しい所が多くなってきました。いずれは多くが閉めることになるでしょう。

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