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新時代通信No61【世界の歴史7】

21年10月27日

この通信は世界の歴史をお伝えします。インドはその歴史は古く、さまざまな宗教と共に発展してきました。およそ3000年前に栄えた文明がその基盤になっていて、多くの宗教を生み出してきました。それは独自の文化でもあり、宗教観でもあるのです。しかし、その根底にはやはり権力者の力を高めるために作られてきた歴史があるのです。

 

インドと言えば仏教発祥の地でもあるのですが、現在はヒンズー教が主体で仏教は片隅に追いやられています。なぜなのか、そこにはやはり権力者の思惑があったからです。今から2500年前に釈迦が悟りを開いて仏の教えを広めていったのですが、その頃インドではバラモン教が主流でカースト制度もこの宗教を元に作られました。カースト制度は厳密な身分制度でおよそ四つの身分に分けられていて、さらに100以上の職業や身分に細かく分けられています。なぜこのような制度ができたのか、バラモン教は一種の独裁的な宗教で最高位の司祭を中心に貴族や戦士、そして一般市民に奴隷と四つに階級を分けて人々を支配していたのです。カースト制度はこれを基本に細かく分けられているのです。司祭はさまざまな神とつながると言われていて、儀式ごとに崇拝する神を替えていたのです。ある意味での多神教であり、その権力は絶大なものでした。逆に言えば、権力を強めるためにこのような身分制度を作ったのです。階級が異なる者の結婚は認められず、生まれ落ちた階級は生涯続きました。厳格な制度によって人々を縛り付けて、トップの権力を維持できるようにしたのです。それに反感を覚えた釈迦が悟りを開いて仏教を広めようとしたのです。

 

当時の一般庶民や奴隷は仏教に飛びつきました。仏の前ではみな平等であることを説いていたからです。しかし、バラモン教にとっては脅威的な存在であり、ほっておくと自分たちの権力が揺らいでしまうことになるのを恐れて、仏教の普及を阻止したのです。そのため仏教は急速に衰えてしまいました。その後、バラモン教の後を引き継いでヒンズー教がインドの国教となっていったのです。カースト制度もいっしょに引き継がれていきました。釈迦が広めた仏教はこのような事情で発祥の国では消滅し、中国や朝鮮、東南アジアや日本で花を開かせることとなったのです。ヒンズー教はさまざまな神を信仰していますが、中でもシヴァ神が有名ですが創造と破壊の神であり、すべての生命の源を創った神として崇められています。なぜヒンズー教がこれほどまでに多くの神を崇拝するのか、その根源は人の我欲を満たすためにあるのです。人間のさまざまな欲、名誉欲や権力欲、物欲、食欲、性欲、そして支配欲などに対してその欲を叶えてくれる神がいると考えているのです。それは人間のご都合主義とも言えるでしょう。日本でも子宝祈願や縁結び、家内安全、商売繁盛、学業成就などの寺や神社があるのと同じです。

 

人間の欲望を叶えてくれる神は本当にいるのでしょうか。そして人を生まれながらにして差別して、上の者が下の者を奴隷扱いすることを容認する神がいるでしょうか。いるとすればそれはいわゆる邪神と言うものでしょう。人の我欲が作り出した。ヒンズー教のすべてが邪神と言うわけではありませんが、一部にはあるでしょう。そのことが人々を怪しい世界に導いてしまうのです。

 

ヒンズー教がなぜこれほどの多くの神を信仰するのかは、人の欲望を満たすためとお伝えしましたが、日本もある意味で多神教です。八百万の神々がいるのですから、ヒンズー教以上かもしれません。両者の大きな違いは、ヒンズー教は人の欲望を叶える神として崇められています。日本の神々は基本的にはそれぞれのお役目があって、その御役目に対してご利益をおすそ分けしていただくために祀っているのです。たとえば、伊勢神宮の外宮におわします豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司るお役目をしています。そこから衣食住や産業の守り神として崇められるようになったので、それらに関するお願い事をしてその恩恵を受けにいくのです。しかし、最近は恩恵ばかりが強調されて本来の意味が忘れ去られているのです。あくまでその神様の御役目の恩恵を少しだけ分けていただくことが本当の参拝の目的なのです。神社の宮司や神主さえもその真意を知らずに人集めにやっきになっているため、神様も愛想をつかしてどこの神社にも神様はおみえになっていません。いるのは人が落としていった我欲でできた動物霊や妖怪だけです。

 

インドは中国に次いで世界で2番目に人口が多い国です。そして根強く残っているカースト制度で、人々の欲望と苦しみがうごめいています。そのため、時折女子の集団暴行や殺人事件が起こります。もちろん他の国でもありますが、特徴的なのが若い女性を何人もの男たちが強姦してしまうことです。ヒンズー教では女性はとても卑しいものだとしています。イスラム教も似たところがありますが、ヒンズー教では女性は不浄なものとして女人禁制の寺院が多くあります。生理による血が不浄だとされているのです。日本にも同じような考えで、神聖な場所には女性を断ち入れさせない習慣がありました。なぜこのような考えが起こったのか、それは女性の流す血が男性の性欲をかき立てると信じられていたのです。神聖な場所で男性が興奮してしまわないように、女人禁制にしたのです。しかしこれは口実で、本当は神の前では男女関係なく平等でなければならないのですが、女性が男性の所有物であるかのように思われていた当時は、神の前に女性を出させると平等であることがバレてしまうことを恐れていたのです。女性を虐げることで男性の優位さを保とうとしたのです。これは多くの宗教に見られることでもあります。

 

なぜ男性の優位性をそれほどまでに保とうとするのか、そこがすべての原点になるのです。今までの社会は男性社会と言えます。すべてを男性が仕切り、ピラミッド型の階級社会が数千年続いてきました。それは人が人を支配するにはある程度の差別が必要で、男性はその点支配欲や独占欲が女性よりも強いため階級社会を作ることに適しているのです。逆に女性は子供を産み育てる特性があるので、そのようなことには向いていないのです。時には男性的な女性もいますが、基本的にはすべての人を愛し思いやることができるのです。日本の現在の政治や会社を見ればわかるように、女性はなかなかピラミッド型社会の中ではやっていけないのです。ピラミッド型社会を作るためには女性は邪魔になる存在なのです。そのため女性を蔑視したり、虐げてきたのです。しかし、そろそろそのような社会は終わりを告げて女性が中心の社会に変わる時がやってきました。ピラミッド型ではなくすべての人が対等にそして個々の人格を尊重し、互いに思いやり助け合っていく時代になっていくのです。したがって女性を蔑視してきた宗教や会社、組織はこれから急速に消滅していくのです。神の前ではみな平等です。男性も女性も、そして生まれも年齢も関係なく平等なのです。そのような社会を作るために、まずは今のピラミッド型の社会構造を根底から破壊することが必要で、それを神がこれから行うのです。自然災害や異常気象、さらにはコロナのような伝染病に食料不足、そして時には戦争によって。すでにそれは始まっています。おそらくこの2年でその破壊は徹底的に行われるでしょう。

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