漢方コラム

お問い合わせ

神時代通信

神時代通信No33【伊邪那美神】

22年09月28日

伊邪那美神(イザナミノカミ)は夫である伊邪那岐神と共に、多くの国と神を生んだとされています。そして、火の神を生んだ時に火傷をおって死んでしまい、黄泉の国に行ってしまい、それを夫である伊邪那岐神が追いかけて行って、その変わり果てた姿を見るや逃げ出したとされています。この記実もまったくもって作り話なのです。

 

そもそもどうして神が命を落とすのか、そして死者の国である黄泉の国にどうして神がいるのか、あまりにも荒唐無稽な話が古事記には記載されています。このような話が作られた背景には、当時の人たちの世界観が関係しているのです。当時は、人は死ぬと黄泉の国に行って、生前行った罪を償うとされていました。罪が大きければそれに応じた所で苦しい思いをしたのです。そのため、生前に少しでも罪を軽くしておこうと、神社や寺に多額の寄進をしたのです。お金を積めば罪が免除されると思っていたのでしょう。まるでどこかの教会のようです。そのような世界観があったため、神も同じようなことをすると、勝手に思い込んだのでしょう。したがって、いかに古事記の内容がでたらめであるのかがこのようなことからもわかってくるのです。

 

伊邪那美神は天津神である高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の化身なのです。人の心に悪の心を生み出す我欲を打ち砕くことが、この神の役目なのです。本来、人には悪の心はなかったのです。しかし、善の心だけでは魂が成長しないので、大元の神は我欲を持たせるようにしたのです。我欲を持つことで人は苦悩するようになり、そして文明を発達させてきたのです。しかし、我欲には際限がありません。それをコントロールさせるために善の心が強く働くようにさせたのです。それが神の存在を知らしめることだったのです。神仏の前では誰もが善の心を開花させるのです。しかし、このことを悪用して宗教が生まれたのです。宗教は一部の支配者が多くの人を支配するために作り出したもので、神仏の教えを利用して自分たちの権力や財力を大きくしていったのです。どこかの教会もまさにそれをしているのです。

 

しかし、我欲は神仏の存在を知らしめてもなかなかコントロールされることはありません。そこで、我欲を作り出す遺伝子を封印する方法を創り出したのです。それがガンなのです。つまり、ガンにかかると生きていたいと言う思いに専念するため、我欲はうすれていくのです。昔は寿命が短かったので、ガンにかかる前に別の病気で亡くなることが多かったのですが、現在のように寿命が長くなるとそれだけ我欲が強くなる人も多くなるため、ガンが増えてきたのです。ガンを作り出す遺伝もすべての人は持っています。その遺伝子が発動するかどうかは、我欲の強さによって決まってくるのです。もちろん、ガン遺伝子が発動するのは我欲だけではありません。さまざまな要因があるのですが、一番強い要因が我欲なのです。これからますますガンになる人は増えていくでしょう。ガン遺伝子の動きを止めるには、我欲を小さくするしかないのです。そのためには「ありがとう」をひたすら言い続けるしかないのです。人が我欲を持つことは必要ですが、いかに少なくするかが大きな課題なのです。それは長年のテーマでもあるのです。戦後、世界的に生活レベルは発展してきました。それに伴って我欲もかつてないほど強くなってきたのです。
「我は伊邪那美神なり。我は黄泉の国の王にあらず。ましてや国や神を生んでおらず。我は人の我欲を作り出す大元の働きを打ち壊すなり。その大元は人の体を作る元にあるなり。本来はなきものなれど、人が発展し成長するために組み込まれたなり。されど、それを制御することは困難であり、ひとたびタガが外れると際限がなくなるなり。それゆえ、人は悪の心に染まるなり。されど、大元の神はもうこれ以上悪の心に染まることをお許しにならないことをお決めになったなり。したがって、悪の心に完全に染まった者は抹消されることとなったなり。なぜなら、それらの者には邪神が取りついているからなり。邪神は元は人の御霊からできたものなり、それゆえ、元は神の子でもあるなり。それゆえ、大元の神は我が子を処断することを決めたなり。我は、まだ邪神に取りつかれていない者を救うことが役目なり。されど、悪の心に傾いた者を引き戻すには、かなりの衝撃が必要なり。場合によっては命を亡くすこともあるなり。そのことをしかと心得るがよい。」

 

伊邪那美神が行おうとしているのは、一種のショック療法なのです。事故やケガ、自己破産や倒産、さらには最愛の人を亡くすとか、親友に裏切られるなど、身も心も大いに傷つくのです。そのことで我に返り、我欲の愚かさを悟ることができるのです。しかし、あまりの辛さに押しつぶされてしまうこともあります。どちらになるかはその人しだいなのです。伊邪那美神はあくまでも、考えるきっかけを与えてくれるだけなのです。人の遺伝子に組み込まれている我欲の種は、先ほども伝えたように大きなショック受けないとなくならないのです。ショックが大きいほどその種は完全に破壊されます。中途半端なショックではまた再生してしまうのです。人類はある意味でその繰り返しをしてきたのです。しかし、もうこのようなことをくり返すことは終わりとなるのです。悪の心を作り出す種を消し去って神とつながるか、邪神と共に消滅するかのどちらかとなるのです。ショック療法以外でこの種を消し去る方法が感謝と謙虚さなのです。日々、感謝と謙虚さを実践すれば、この種は消えていくのです。

 

どちらを選ぶのか、その選択が迫られています。コロナワクチンもその選択の一つなのです。コロナに感染したくないという思いでワクチンを打った人は、我欲の種が発芽していきます。なぜなら、ワクチンを打てば元の生活ができると思っているからです。コロナはある意味で、今までの生き方や考え方を変えるために出現したのです。単なる感染症の一つではないのです。物やお金に執着して、自然を破壊し、他の生物を絶滅の危機に追いやっています。さらには、人を裏切ったり、だましたりして少しでもいい思いをしようとする人が多くいます。このような生き方や考え方を変えさせるためにコロナが出現したのです。したがって、ワクチンを打って今までと同じような生き方をしている人は、これからの時代には不要なのです。しかし、仕事柄やさまざまな事情でワクチンを打たなければならない人もいます。そのような人は、ひたすら感謝と謙虚さを実践していけば、たとえワクチンを何回も打っていても残されていくでしょう。

 

伊邪那美神は今、とても忙しくしていらっしゃいます。残す人と、残さない人の選別をしているからです。おそらく、1年後には大方は決まるでしょう。それまでに一人でも多くの人が残れるように、私もこの通信を発信することでこの神のお手伝いをさせていただいているのです。すでにコロナワクチンの4回目の接種が始まっています。果たして1年後にはどれだけの人が生き残っているのでしょうか、それはまさしく「神のみぞ知る」ことではありますが、一人でも多くの人が残っていただきたいと願うばかりです。コロナは神の申し子、語呂合わせでコロナは567,567は神式でミロクと読みます。つまり、弥勒菩薩のことなのです。

ページTOPへ戻る

電話する

お問い合わせ