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新世紀通信No58【葬式】

24年01月25日

日本では亡くなると多くの場合、斎場などで葬式が行われます。30年ぐらい前までは自宅で行うことが多かったのですが、斎場が多くできるようになってきたことで、自宅では行われなくなってきたのです。もちろん、住宅事情や一人暮らしの人が増えてきたことも関係しています。

 

少し前までは葬儀は自宅で行われていましたが、核家族化が進み、住宅事情も変化し、さらに葬儀の形式を知っている人が少なくなってきたため、斎場で行われるようになってきたのです。祭壇や花輪の飾り方、僧侶へのお礼や亡くなった方の扱い方など、さまざまなことを知っている人が一昔前は親類や近所にいたものなのです。しかし、今はほとんどいなくなってしまったため、斎場の人の指示を受けないとできなくなってしまったのです。そのため、斎場の人の言いなりになってしまい、一時期は300万円や400万円もかかることがありました。しかし、最近では家族葬や良心的な葬儀をしてくれる斎場も増えてきたため、極端な費用がかかることもなくなってきました。葬儀の在り方も多様化しており、今までの形式にこだわることはなくなっているのです。

 

本来、通夜や葬儀に告別式、そして火葬が行われます。さらに会食が行われることも多くありますが、このような形になったのは江戸時代からだと言われています。寺が檀家制度を行うようになってから、葬儀の仕方が一つの形式として定まっていったのです。宗派によって異なるところもありますが、基本的な流れは同じです。僧侶による葬儀が一番のイベントになるのですが、多くの僧侶はただお経を読むだけで本当に霊が存在しているとは信じてはいません。ましてや、神仏が実在しているとも信じていないのです。これは多くの宮司も同じなのです。あくまで、形式的に行っているだけなのです。そのような状態で行われる葬儀は、まさに形骸化しているのです。もちろん、残された遺族や故人を偲ぶ人たちにとっての、お別れのための儀式と言う意味では大切なことではあるのです。

 

遺族や故人を偲ぶ人たちを中心にした葬儀をこれから考えていくべきです。そうなれば、立派な祭壇や多くの花輪は不要になっていきます。さらに、戒名や多くの僧侶も不要になっていくのです。ただ、亡くなった人をきれいに整えて送り出すことは大切なことなので、納棺師の力を借りることは必要となるでしょう。最近、テレビで葬式のことがよく宣伝されています。家族葬が多くなっていることをピーアールしていますが、家族葬であったとしてもやはり、多くのお金がかかってしまうこともあります。いざという時のために、事前にいろいろと調べておくとよいでしょう。

 

葬儀はあくまでも遺族や故人を偲ぶ人たちのものであり、亡くなった人はどんなに盛大に葬儀をしてもらっても、さほど喜ばないのです。亡くなったことに対して、どれだけの思いを伝えてくれるかが、最大のなぐさめとなるのです。最後の別れだからこそ、伝えることができることもあるのです。今まで伝えることができなかったことをしっかりと伝えてあげることが、故人への最大の花向けとなるのです。

 

人は亡くなると、しばらくは住んでいた家や家族の元にいます。特に、事故や急病で亡くなった人は、自分が死んだことがしっかり認識できないため、生きていた頃と同じような振る舞いをするのです。しかし、家族に呼びかけても一向に返事をしてくれないことで、自分が死んだことを認識していくのです。死んだことを認識できるようになるのは、個々に異なりますが、おおよそ1週間から2ケ月ぐらいかかるのです。仏教では亡くなったあと、7日ごとに法要をして49日で亡くなった人の霊は、それぞれの世界に移っていくとされていきます。しかし、実際には地獄界や畜生界などがあるわけではなく、多くの霊は霊界にいくのです。そこで、今世行ってきたことをしっかりと振り返り、次の人生を決めていくのです。すべては人々を納得させる作り話なのです。そして、何度も法要をすることで、僧侶へお布施が渡るようにさせてきたのです。

 

一周忌や三回忌、七回忌、さらには三十三回忌まで行うことが一般的だとされています。三十三回忌で多くの霊は極楽浄土に行けるとされていますが、すでにお伝えしているように、だれでも極楽浄土に行けるわけではないのです。ましてや、残された遺族がいくら供養しても、故人の生前の行いがよくなければ、浄土などにはたどり着けないのです。これも、やはりお布施を渡す仕組みがしっかりと作られてきたのです。僧侶の本来の役目は、仏の教えを広めることにあるのです。しかし、今の僧侶の多くは葬儀の法要や、彼岸や盆の法要をすることにかまけているのです。また、檀家からの寄付集めにも忙しくしているのが現状なのです。仏の教えをいかに真摯に伝えていくことができるかが、問われているのです。

 

形式にとらわれている現在の葬儀は、これから姿を消していくでしょう。さらには、さまざまな法要や法事も。その結果、僧侶の存在意義も根本的に変わらなくてはならなくなるでしょう。そして、多くの人は死後の世界観をしっかりと学ぶようになるため、亡くなった人とどのように対応していけばよいのかを新たに構築していくことでしょう。その時は、おそらく僧侶は必要ない状態になっているでしょう。さまざまな宗派がある仏教も、これから少しずつ統合されていくでしょう。多くの寺院の経営が立ち行かなくなるため、統合して生き残っていくのです。おそらく、10年後には現在の10分の1ぐらいとなっているでしょう。

 

人は亡くなるとどうなるのか、一般的には魂が肉体から遊離してしばらくは住んでいた家や家族の元に居座っています。そして、少しずつ自分が死んだことを認識するようになると、光が差し込んでくることがわかるようになり、その方に向かって行くようになるのです。それが霊界なのです。臨死体験をした人が三途の川やお花畑が見えたと言うこともありますが、それは光が差し込んでくる場所がそのように見えることもあるからです。霊界の入り口は、迷っている霊たちが導かれて来るようにするため、とても美しい情景が見えるようにされているのです。さらには、すでに亡くなった身内や親しい人たちの霊が迎えに来ることで、安心させる場合もあるのです。初めて体験することに対して、恐怖心を持ってしまわないようにする配慮がなされているのです。霊界に入ると、さまざまなことを教えてくれる存在がしっかりとサポートしてくれます。その存在は、生前親しかった人や両親、伴侶、そして兄弟などの霊なのです。それから、さまざまなことを学んでいくのです。

 

死後に閻魔大王によって裁きを受けると仏教では教えていますが、実際はそんなことはないのです。閻魔大王の本当の役目は、生きている人が悪の道に染まらないように改心させることなのです。いくら忠告しても悪の道から足を洗わなければ、魂ごと消滅させてしまうのです。

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