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新時代通信No49【日本の歴史5】

21年10月14日

この通信は日本の歴史をお伝えしています。足利氏の没落を契機に地方の豪族が台頭し、いわゆる下剋上が始まりました。いかに自分が抜きんでるか、誰もが人をだまし殺してでも権力を勝ち取ろうとしました。それはまさしく地獄の蒔絵図で、とても人のやることではありませんでした。そこには支配欲と権力欲が満ちあふれていました。

 

戦国時代で全国を統一した織田信長は有名ですが、その最後は今もって不明です。本能寺で明智光秀のクーデターで死んだことになっていますが、実はこの時信長は一部の小姓と共に逃げていたのです。ではなぜその後姿を出さなかったのか、それはこのクーデターを立案したのは信長で、それを光秀にさせたのでした。その目的は、その頃信長はポルトガルの使節団からヨーロッパのことをいろいろ学び、自分もカトリックに信心したいと思っていたのです。しかし、このままの状態で日本を去ることはできなかったので死んだことにして、その後を光秀に任せるつもりでした。しかし、豊臣秀吉が光秀のクーデターをキャッチしていたので、すぐに京都に引き返せるように準備していたのです。光秀もやはりそれをわかっていたので、負けるのを覚悟していたのです。しかし、信長の命で日本統一を果たさなければならなかったので、ひとまずは逃げて活路を見いだそうとしました。その後徳川家康の傘下に入り、やはり表には出ず、僧侶として家康の参謀として生涯を送りました。その僧侶の名は天海、100歳まで生きて徳川家の基盤を作ることに貢献しました。ちなみに徳川家三代将軍家光の乳母、春日局は光秀の重臣の娘であることは有名です。

 

信長は船でポルトガルに渡り、カトリックの洗礼を受けて司祭まで上り詰めました。そしてその子孫が今でもポルトガルにはいて、織田の名前を現地の名前にアレンジして使っています。信長がなぜそこまでしてポルトガルに渡ったのか、それは戦い明け暮れた生活に嫌気がさしたのです。生涯の半分以上を戦に費やし、精神的にも肉体的にも疲れ果てていたのです。そこにポルトガルの宣教師からキリストの教えを学ぶことで、精神的な癒しを感じるようになったのです。信長はイエズス会を保護し、キリスト教の普及を容認しました。このことは、三度の危篤状態を体験した元自衛隊員で、アマチュア天体観測者でも有名な木内鶴彦氏が臨死体験によって信長の生きていた時代に行って、信長の体に入ってその考えや思いを確認してきています。ちなみに木内氏は、今の地球の水の多くは月が運んできたと言っています。ただ、木内氏はそれは1万5千年前と言っていますが、実は一桁ちがっているのです。10万年前に月が大量の水を運んできたのです。木内氏の天体観測能力はすぐれているのですが、年代を割り出す星の位置関係に少しまちがいがあって、一桁少なくなってしまったのです。しかし、木内氏のおかげで歴史の真実がいろいろとわかってきました。

 

秀吉はとても智略に長けていて、人を懐柔することを得意としていました。なぜこれほどまでに一農民が日本全国の頂点にまで上り詰めることができたのか、そこには大きな秘密が隠されているのです。秀吉は実は農民の出ではなく、公家の出なのです。足利氏が没落する前までは、天皇の側近として事実上の執務をしていたのですが没落後職を失い、一農民として暮らしていたのです。

 

秀吉が農民としてその素性を隠したのは足利氏を倒した勢力から身を守るためで、ある意味でお尋ね者になっていたのです。しかし、信長が台頭してきたのでその勢いに乗って野望を果たそうとしたのです。もう一度天皇を担ぎ上げてその実権を取り戻そうと。そのためにありとあらゆる智略を使って上り詰めたのです。秀吉が朝鮮に出兵したのは秀吉の先祖が朝鮮の新羅の出で、百済に滅ぼされて日本に渡ってきて苦しい思いをしてきたので、その恨みをはらすために出兵させたのです。なんとも哀れなことです。どれだけの日本人と朝鮮の人が亡くなったことか。秀吉は子供がなかなかできませんでしたが信長の妹、お市の方の娘、淀殿の間に念願の男子を授かりました。後の秀頼です。一説には石田三成の子であると言われていますが、実は真実で淀殿が一番信頼していた側近であり、秀吉の懐刀でもありました。秀吉はそのことを知っていましたが、世継ぎがいなかったので我が子として溺愛したのです。しかし、家康の調略で戦うことになり、滅亡への道をたどりました。この時、淀殿を戦へと駆り立てたのが明智光秀こと天海で、その側近が大坂夏の陣、冬の陣を引き起こさせたのです。真田幸村は家康と天海の野望を見抜いていましたが、天海の調略によって翻弄された淀殿の考えを変えることができずに負けてしまいました。

 

戦国時代で有名な人に、武田信玄がいます。信玄の先祖は朝鮮の高句麗の出で、騎馬戦を得意としていました。さらに治水工事や金、銀の採掘技術も長けていたので、甲府や長野を支柱に治めました。しかし、山ばかりの領土ゆえ海に対するあこがれが強く、駿河に進出することを狙っていました。信長が台頭してきて、今川氏の力が落ちてきたことを機に上洛の名目で軍を進めたのです。しかし、すでに高齢で持病もあったため馬での移動はかなりこたえてしまい、途中で倒れて死んでしまったのです。

 

三本の矢で有名な毛利元就もやはり朝鮮の流れを汲んでいて、特に百済の影響が強かったので陶磁器が盛んに作られました。萩焼が有名なのはそのためです。後の吉田松陰やその門下生も朝鮮の気質が強く、討幕を起こす起爆剤となったのです。長州藩の家老職の末裔が安倍元総理で、その晋三と言う名前は晋が中国の晋の時代の表しその末裔であること、そして三は三本の矢を表しているのです。つまり、その先祖は中国から朝鮮に渡り、日本にやってきたということです。名前にそのルーツを表しているのは、日本国を支配する決意を表しているのです。長年の思いが成就されましたが、そのために日本国の経済も社会もずたずたにされてしまいました。この犯した罪は近いうちにあがなうことになるでしょう。その相棒となったもう一人の元総理も。

 

戦国時代は信長、秀吉、そして家康によって終わりましたが、その間に多くの人が亡くなりました。およそ日本の当時の人口の三分の一の人が。その人たちの魂の多くは成仏することなく、今もさ迷い戦をしているのです。自分でするのではなく、独占欲の強い人に憑依して。今の政治家には当時の武将の霊が多く取りついています。まさしく下剋上の如く、党利党略を尽くして少しでも上に上り権力を手に入れようとしています。特に自民党とそれに近い党が。しかし、それらの霊もすでに上に上がり始めています。なぜなら、神が強制的に引き上げているからです。もう霊界は大幅に変わっているのです。いつまでも人間界に霊がいることは許されないのです。それでも居座るのであれば、その存在は抹消されます。そのことを霊もわかっているので上に上っているのです。今まで霊に取りつかれていた人たちは我に返りますが時すでに遅し、今までしてきた悪事がすべて明るみにさらされるでしょう。それがこれから始まります。今は2021年10月の中旬。

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