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新時代通信No87【宇宙のしくみ5】

21年11月17日

この通信は宇宙のしくみをお伝えします。いろいろある宇宙のしくみに、もう一つ大きなものがあります。それは神との約束です。モーゼの十戒は、人が最低限守らなければならない約束です。他にも戒律や掟などがありますが、多くは人が作ったものです。神との約束とは、実は日本の教育勅語に表したものなのです。

 

今からおよそ100年前、明治政府が教育に関する基本的な倫理観、つまり人としてどうあるべきかを天皇のお言葉として作ったのが教育勅語なのです。実際に天皇がお考えになったのではなく、当時の政府要人が国民を天皇のために身を呈するようにさせるために作ったのですが、実はこの中に神と人との約束ごとが含まれているのです。それは、先祖を敬い親孝行を美徳とし、兄弟知人と助け合い励まし合いながら和を持って国が栄えていくことに励むことを奨励しているのです。そこに天皇にすべてを捧げることが政府の思惑で付け加えられてしまったので、戦後GHQによって廃止されてしまったのです。本来は天皇のために生きるのではなく、人として生きることが収められていたのです。人として生きることが神との約束なのです。

 

教育勅語はある面ではすばらしいものであるのです。いろいろな評価がされていますが、その根本的なところはとても大切なことが書かれているのです。神との約束とは、人が生まれてきたことを天皇ではなく神に感謝し、そして今自分があるのははるか昔から続く先祖のたゆまない努力があってのことを自覚し、そして未来永劫この繁栄が続くために兄弟や知人と力を合わせていけば、それは約束されるということなのです。それが守られないと繁栄は続かないのです。どうして教育勅語が作られたのか、それまでは武士の時代だったので、武士は君主のために自らの命を差し出す覚悟を小さい時から教えられてきました。しかし、明治になって武士の時代は終わってしまったため、君主の代わりになる存在を天皇に仕立てたのです。すべての国民が天皇のために命を差し出すようにするために、小さい時から教え込んでいったのです。その規範とするものを教育勅語に収めたのです。しかし、その根底に流れる日本人の考え方は、はるか昔から脈々と培ってきた神との約束事が込められていたのです。

 

教育勅語を作るに当たってさまざまな意見や考えが出されましたが、最終的には江戸時代に普及していた朱子学を採用したのです。朱子学は儒教の教えを元に宇宙の成り立ちやすべての物の関係を表した陰陽五行の考えを取り入れたもので、それはある意味で神と人との関係を説いているのです。さらに人はどのようにして生きていくべきかも説いています。その中から最低限人として守るべきこと、つまりはある意味でのモラルを表したのが教育勅語でありそれが神との約束でもあるのです。とてもすばらしいことが示してあるのですが、時の政府が歪曲させたがために闇に葬られてしまったのです。今一度教育勅語を復活させる時がきました。ただし、天皇の部分をすべて神に置き換えての話ですが。一人一人の人が神と先祖と、そして兄弟知人を敬うようにすれば争いごとはなくなり、平和な世になっていくのです。いずれ教育勅語は広く普及していくでしょう。勅語ではなく、神示と置き換えられて。神からの教えとして。
宇宙のしくみにはさらにもう一つ大切なものがあります。それは神の力を授かるしくみです。人は時に神の力を授かることができます。それをいわゆる神がかりと言われています。神がその人に一時的に宿るのです。たとえば、野球やサッカーなどでここぞという時に奇跡的なプレーをする人には神が一時的に宿っているのです。また、音楽や絵画など芸術面でも信じられない演奏や作品を作り出す時も。さらには、火事場のバカ力もそうです。それぞれに立場や目的はちがえど、共通しているのは一心不乱に雑念をすべて消し去りその行いに全力を傾けていることなのです。その状態にある時は私利私欲もなく、ただひたすらその行いをやり遂げることだけを考えているのです。その時、神はその行いが達成できるように背中を後押ししてくれるのです。だれでもそれは授かることができるのです。ただし、一分の私利私欲があってはなりません。100パーセントその行いの達成だけを考えている時だけに神は力をお貸ししてくれるのです。なぜなら、神の存在は目で見ることはできなないので、時々そのような形で神の存在を現わしているのです。だからこそ神がかりと言われるのです。

 

奇跡と言われることの多くは神の力によるものです。モーゼがユダヤの人々を連れてエジプトから逃れる時に、海が二つに割れて道ができたことや、鎌倉時代に蒙古が来襲してきた時、神風によって多くの蒙古軍の船が沈没したこと、さらには阪神淡路大震災で走行中にバスが高速道路から転落寸前で止まったことなど、どれも神の力によるものなのです。奇跡とは神の力を現わしたことであり、その時人々は神の存在を実感するのです。しかし、人はしばらくすると忘れてしまいます。そのために神は時々奇跡を起こしてその存在を現わしているのです。これから発生するであろう地震や火山の噴火で、また多くの奇跡が生じることでしょう。しかし、奇跡は何度も起こるわけではありません。何度も起こってしまってはそのありがたみがうすれてしまうからです。めったにないことだから奇跡なのです。苦しい時の神頼みで、奇跡が起こるように懸命に祈っている間は奇跡は起こりません。無心にそして私利私欲をすべてなくした時にのみ、奇跡は起こるのです。

 

奇跡を自由に起こせる人が時々います。インドのサイババやイエスキリスト、釈迦、そしてレオナルドダヴィンチなどは、さまざまな形で奇跡を起こしてきました。彼らにはいつも神が宿っていたのです。それぞれの表現方法はちがいますが、それまでの常識とはかけ離れた形を現わしてきました。なぜこのような人たちが現れてくるのか、それはその人たちが現れる時は世の中がある意味で停滞している時なのです。人々の考え方が固定化し、自由な発想ができなくなってしまっている時に現れるのです。人はいつも成長しなければなりません。そのために人として生まれてきたのですから。その成長をうながすために、それまでの考え方や価値観を変えさせるために奇跡を起こす人を出現させるのです。ある意味での起爆愛的な人を。当然ですが最初は多くの人が驚き、そして否定的な目で見、受け入れようとはしません。しかし、あまりにもすばらしかったり感動するためじょじょうに受け入れることで、新しい考え方や価値観が生まれてくるのです。今まさに奇跡が起ころうとしています。その起爆剤がこの通信なのです。

 

この通信ではさまざまなことをお伝えしていきますが、今まで知られていないことも多くあります。これまでの考え方や価値観を180度ひっくり返す内容も多々あります。最初はばかばかしくて信じられないと思う人が多いでしょうが、何度も読み返していくと少しずつ受け入れることができるようになっていきます。おそらく三回も読めば信じることができるようになっていくでしょう。その時、まさしく新しい考え方と価値観が身に付いていくのです。この通信は奇跡の書でもあるのです。

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