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神時代通信

神時代通信No43【玉依姫神】

22年10月24日

玉依姫神(タマヨリヒメノカミ)は、初代天皇である神武天皇の母親で、その本性はサメであると言われてきました。どうしてサメが人の子を産むのか、そこに大きな秘密が隠されているのです。因幡の白ウサギの話にも多くのサメが登場します。このサメこそが朝鮮半島からの移住者を現わしているのです。

 

弥生人の多くは朝鮮半島から渡ってきました。その多くは半島でくり返されていた戦争で破れた人たちなのです。百済、高句麗、新羅などの王族がいつもしのぎを削っていたのですが、中でも小国であったいくつかの王族が日本に避難してきたのです。当時、日本には縄文人が住んでいたのですが、争うことをしなかったので避難してきた弥生人たちは縄文人の住んでいる土地を奪い取り、時には虐殺していったのです。その残虐性を象徴する意味も含めてサメをモチーフにしたのです。つまり、神武天皇を初代とした天皇は、朝鮮の王族の血を引き継いでいるのです。当時、日本にははるか昔から天皇(スメラミコト)がいて、縄文人を導いていたのですが、朝鮮の避難してきた王族は強引に姻戚関係を結んで、日本を統治していったのです。

 

ある意味で藤原一族のようなことをしていったのです。公家の多くはやはり避難してきた王族に追従してきた貴族の末裔で、博学ではあるのですが何かと智略をめぐらし、後世武士や商人を裏で操って自分たちの地位と権力を拡張しようとしていたのです。ちなみに、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたのは、元は朝鮮の小国だった貴族の末裔である公家が、昔の仇討ちをさせるために秀吉をそそのかしたのです。そのため、秀吉は中国の明まで攻めるという狂人的な野望を持ってしまったのです。実は、秀吉も公家の出身で、頭がよくて知略家だったのですが、策に溺れて命を狙われるようになったため、農民に姿を変えて一発逆転を狙って信長に仕えるようになったのです。人並外れた才能があったため天下人となったのですが、老いと共にその才能にも狂いが生じて、朝鮮出兵などという暴挙をしでかしてしまい、それが仇となって豊臣家を潰すこととなってしまったのです。

 

日本はある意味でこの2000年間、朝鮮由来の人々に牛耳られてきたのです。最近では旧世界統一教会によって多くの人が洗脳されてきました。一時期は合同結婚式で多くの日本人女性が韓国の人といっしょになって韓国にわたり、虐げられた生活を送ってきました。少し前は北朝鮮の指導者のおとぎ話のような社会国家に住めるとだまされて多くの女性が北朝鮮に渡っていき、みじめな生活を送ることとなりました。そして、今の政治家の多くは朝鮮半島の血を強く受け継ぐ人が多いため、日本人をある意味で生贄にしているのです。暗殺された元総理もその筆頭になるのです。本来の日本人とは何なのか、それを実践しているのがアイヌと沖縄の人たちなのです。どちらも長い間虐げられてきました。それは朝鮮半島由来の人々によるものなのです。本当の日本人を今こそよみがえらせる時がきたのです。日本人の多くが縄文人と大陸由来のハーフなのですが、縄文人の血をしっかりと再生させるためには、これから起こるであろうさまざまな困難に遭遇するしかないのです。苦しい時ほど人が助け合っていかなければ生きていけないことを思い知ることで蘇るのです。
「我は玉依姫神なり。我は神武天皇の母ではあらぬ。ましてやサメなどではあらぬ。われはムーの時代に巫女として生きていたなり。我は、大元の神から伝えられてくることを民に伝えてきたなり。特に人が人として生きてく術を。されど、今の多くの民は自らの我欲を満たすために人をだましたり、時には殺したりするなり。人としての理を大きく踏み外しているなり。今一度、人としてどう生きていくかを知らなければならず、我の役目を果たす時がきたなり。我は人と一つになりて、我の役目を果たすなり。我の力を授かった者が、人の理を自ら実践するなり。理は理屈ではあらぬ。実践してこそ初めてわかることなり。今の世は人の理を説き、まるで己が神のごとく振舞う者あり。さらに人から多くのお金を集めることをするために、己を神の代行者と偽る者もあるなり。お金で救われることなどあるはずがなしなり。そのような狂言を信ずる者もいずれは自滅するなり。人の理を実践する者だけが残されていくなり。」

 

人の理とは人を思いやり、助け合い、そして自然を大切にすることなのです。さらに、感謝と謙虚さを日々実践すること。このことだけなのです。それを難しい言葉や教義にして、いかにもわかったようなことを言って人々を信者にしていくのが宗教なのです。多くの宗教は人が作ったものであり、人が人を支配するために作ったものなのです。神仏の存在を利用していかに多くの人を支配し、そしていかにお金を集めをするかのために宗教は作られたのです。どの宗教も最初の頃は神仏の存在を真摯に受けとめ、そして人としての理を懸命に実践していたのです。しかし、途中からそれを利用して多くの人を支配するための道具と化していったのです。特に最近の新興宗教のほとんどがそうなのです。新興宗教とは、幕末頃からさまざまな神から啓示を受ける人が増えて来て、新たな宗教団体が多くできたのです。大本教、黒住教、天理教、金光教などがあり、さらに枝分かれして多くの教団が誕生していきました。また、最近話題になっているお隣の国に本部を持つ教団もその一つです。

 

なぜ、幕末頃からこのような宗教団体が多く誕生していったのか。それは、幕末の動乱で人々が何を信じれば良いのか混乱してしまうことを危惧して、神界の神々が少しでも人々の心を安心させるために、神仏の存在を今一度認識させることにしたのです。どの教団も最初は、ごく一般の人にある日突然神仏からの啓示が降りて来ているのです。そして、それを聞きたいと多くの人が集まるようになり、人としてどう生きていくかを学んでいったのです。しかし、当初の教祖が亡くなり、それを引き継ぐものが代を重ねていくうちにお金を集める集団に変わっていったのです。もちろん、最初の教祖の教えをかたくなに守り引き継いでいる教団もあります。しかし、多くは神仏の名を借りてお金儲けに走っているのです。また、そのような教団に嫌気をさして新たな教団を作る人もいて、さらに多くの教団が生まれていったのです。大正、昭和に誕生した多くの教団もあります。この多くも同じようなことをくり返しているのです。どの教団も信徒を増やすために、さまざま形で勧誘をしています。自分たちの信じている教義を多くの人にも信じてもらいたいと、勧誘しているのですが、本当に良いものであれば自ずと受け入れられていくのです。だましてまで勧誘するのはまさに邪神の教団なのです。

 

玉依姫神は今、ご自分の手足となって動いてくれる人を切に望んでいるのです。感謝と謙虚さを実践するだけなのです。これこそが本当の宗教なのです。難しい教義や戒律は必要ないのです。これらはすべて人が人を支配するために作られたものなのです。大きな講堂も神殿も、そして大勢が参加する集会も礼拝も必要ないのです。神仏はいつも私たちと共にあるからです。それをただ信じれば良いだけのことなのです。

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