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新世紀通信No38【教育】

23年12月08日

今、多くの小中高生が不登校となり、家に引きこもったりしています。原因はそれぞれ異なりますが、明らかに今の教育が多くの子どもたちに適していないことの現われなのです。また、多動性障害や学習障害、アスペルガーや自閉症など特別支援を必要としている子どもも増えています。一体何が一番問題なのか、そのことを解明する時がきました。

 

不登校や障害のある子どもたちに共通している点は、周りに対する配慮ができないことにあります。自分のことしか考えられず、思い通りにならないと爆発したり、閉じこもってしまうのです。どうしてそのようになってしまうのか、一番の原因は忍耐力が小さい頃から養われていないのです。いろいろな面で豊かになりすぎて、食べる物も着る物も、オモチャもそしてゲームも好き勝手に手に入ってしまうのです。そのことで我慢することができないのです。さらに、食の乱れも深く関係しています。ファ―ストフードやインスタント食品、冷凍食品やレトルト食品を多く食べることで、脳の働きを調整する多様なミネラルやアミノ酸が十分に摂取されていないため、興奮しやすくなっているのです。また、叱られたり、怒られたりする経験が少ないため、そのようなことをされると切れてしまったり、閉じこもってしまうのです。多様なことを経験していないため、適応能力が弱くなっているのです。

 

このような傾向はますます強くなっていて、集団生活になじめなかったり、協調性が持てなくなってしまうのです。このような子どもたちをどのように支援していけばいいのか、学校や保護者だけでは対応ができないのが現状である以上、第三者的な支援が必要になるのです。たとえば、寺子屋的なところで異なる年齢の子どもたちといっしょに遊んだり、学んだりさせるのです。そして上の子が下の子を指導したり、面倒を見させるのです。大人はなるべく出しゃばらないようにして、見守るのです。昔は兄弟が多かったので、普通の家庭で行われていたのですが、少子化で兄弟が少なくなり、場合によっては一人っ子も多くなってきました。子ども同士がいっしょに遊び、学んでいく中で我慢することや協調性、そして思いやる心が育まれていくのです。場合によっては、夏休みや春休みに一定期間いっしょに暮らすのもよいでしょう。そのような合宿所のようなものが地域ごとにできていくとよいでしょう。使われなくなった校舎や古民家を利用してもよいでしょう。

 

知識を詰め込むばかりの教育は、子どもたちの心を疲弊させていきます。自ら学ぶことの楽しさや、探究することの楽しさをどのように教えていくかが、これからの教育の大きな課題となっていきます。最低限の読み書きや計算はできるようにしなければなりませんが、高校で習う微分や積分は多くの子どもには必要ありません。また、英語も簡単な日常会話ができる程度にすれば、むつかしい文法や多くの単語を覚える必要はないのです。また、体育や音楽、美術、工作、さらには家庭科も選択制にして、自分の興味のあることに時間をもっと費やすようにするのです。その代わりに、農業や伝統工芸、さらには畜産や漁業など、一次産業の実体験を多くさせていくのです。特に、農業は何かしらの形で、子どもたちに多くの時間を体験させてあげるのです。体力向上、自然観察、協調性、忍耐力、そして命の尊さを学ぶことができるようになるのです。

 

日本の教育は、ある意味で一律の人を育てることが目的となっています。つまり、金太郎飴を作る製造所となっているのです。そのため、一律になることができない子どもははじかれてしまうのです。なぜこのような教育がなされるのか、それは大企業がそのような人材を要求しているためと、国としてもおとなしくて上からの命令を素直に聞いてくれる国民が多いと、コントロールしやすいためなのです。人と異なったことを言ったり、行動したりすることがよくないと言う雰囲気を小さい頃から植え付けているのです。もちろん、人に迷惑をかける言動はよくありませんが、ある程度は人と異なる言動を容認する雰囲気がないのです。日本人は元々そのような特性を持っているため、その特性がうまく利用されてしまっているのです。協調性と個性のバランスがうまく取れていないのです。両者は車の両輪で、そのバランスを取る教育しなければならないのです。

 

協調性と個性のバランスを取るための教育は、やはり遊びの中で養われていきます。昔は、ガキ大将がいて、みんなを仕切り、仲間はずれが出ないように全体を見ていました。ガキ大将には子分がいて、手足となって動いていたのです。しかし、今はそのような子どもはいなく、自分の好き勝手にしている子どもが多くなっています。そのため、協調性やまとまりがなく、集団としての力を発揮することができません。スポーツの世界では、日本人の集団力は世界的にもトップレベルなのですが、それなりに厳しいトレーニングをして身につけているのです。子どもたちもスポーツをしていますが、同学年でやっていることが多く、異年齢の子どもたちとの協調性はあまり養われていません。さまざまな異なる年齢の子どもたちが交わる中で、協調性や個性が育まれていくのです。そのような機会を作ってあげることがこれからの課題となるのです。

 

日本人の特性である、協調性を重視する考え方は畑作業や米作りにはとても役立つのですが、一度、変な方向に傾いてしまうと、止められなくなってしまう危うさも持っているのです。先の大戦で、戦争に傾いていく社会に対して、反対の意を唱えることはなかなかできる雰囲気はありませんでした。最近では、コロナワクチンを打つことに反対する人は肩身の狭い思いをしていました。さまざまな考え方があって当たり前なので、少数派の意見を力で封じ込めようとする協調性はなくしていかなければなりません。多様な考え方を受け入れられるようにするためには、普段から多様な人と接する機会を作る必要があるのです。その元になるのが、異年齢の子どもたちと遊ぶことなのです。そのような機会をいかに作ってあげるかが、大人の役目でもあるのです。

 

多くの子どもたちは、ゲームやスマホでいつも遊んでいます。ゲームも数人で遊ぶこともありますが、限られた子ども同士で遊んでいます。このようなことを続けて大人になっていくと、さまざまな人とうまくコミュニケーションがうまく取れなくなり、社会に適応することができなくなっていくのです。会社に入ってもすぐにやめたりして、結局は派遣社員になったり、フリーターになってしまうのです。コミュニケーション能力を高めるには、何度もお伝えしているように小さな時から、異なった年齢の子どもといっしょに遊ぶことが必要なのです。さらには、やはり異なった年齢の子どもたちと、共同作業をするのです。一番適しているのが畑仕事や米作りなのです。田植えや稲刈り、畑を耕したり、苗を植えたり、草抜きをしたり、そして収穫作業を力を合わせてするのです。年齢や体力に合わせた作業をし、それぞれが自分の仕事を責任を持ってこなしていくのです。年上の子どもが年下の子どもの面倒をしっかり見て、年下の子どもたちはそれを学んで、いずれは自分がそれをしていくようにするのです。そのことをくり返すことで、協調性と個性が養われていくのです。これからの教育の原点は農業となるのです。

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